ぼくが目になろう(後編)
<前編>・<中編>から続く「追悼・谷川俊太郎さん」の最終章とする。
さて、私は何になろう。
詩集を読み返して、手が止まるフレーズがあった。
“詩が無意識に目指す真理は小説とちがって
連続した時間よりも瞬間に属しているんじゃないか”
反転させて
「小説が無意識に目指す真理は詩と違って
瞬間よりも連続した時間に属しているんじゃないか」
としてみる。
年始に叔父が町内のお客さんを連れてきて、前編に書いた小学校の校歌の話になった。(昭和20年代、地元小学校に勤務していた音楽の男性教師と国語の女性教師、若い二人が母校の校歌を作った(と思っていた))
「そこの校長先生が、新任で来た国語の先生に歌詞を書かせはってな」
あれ? 若者同士の地域愛を妄想した私の物語がガラガラと崩れる。いや、それならそれで、この国語の先生、まるで朝ドラヒロインのようじゃないか。上司からの無茶ぶりに燃え、子供の笑顔に励まされ、心を削って歌詞を紡ぐ…。また新たな設定で妄想が広がる。
詩の教室へ行ったことがある。短いのは向いていない的な言葉をもらった。確かに。表したいことが短いフレーズや行数ではどうにもまとまらない。漢詩など風景を歌う詩は、読むのはその場へ行った気分になれて好きだが、描きたいのは風景じゃない。情念だ、その在り様だ。燃えている火の様がどのようであっても面白く、それを詩では書き留め得ぬ。ああだこうだの登場人物の言いっぷり、ト書きからくる情景描写、それらがあいまって紡がれる生きている様。そこに善悪も優劣もない。ただひたすらに命燃ゆ、なんと美しく飽きない様であろう。魅了されてやまぬ。そして一際鮮やかな様、好みの様を具現しようと、劇を奉ぐ。作家も役者も演出家もすべてのスタッフがその作品の僕だ。
自分が何に執着を続けているのかを少し紐解けた。
きっと谷川俊太郎さんの訃報に触れ、たくさんの人が私と同じようにまた違うように、自分の今までとこれからを、それから世界を浚ったのではないか。
それは彼の詩を更新する行為だ。詩には昇華しなくても。すごいな。心の奥に届く言葉を紡ぐとこんな事が起こるのだな。
今回の公演は、聞く楽しみと読む楽しみを同時に味わって頂こうと、上演読本を配布する(お気に召したら購入下さい。金500円也)ので、試作品を作った。和に寄ったお話が多いので和綴じにしようと試みた。本を販売するのは初めてのことでテンションが上がる。
ああ、そうか。何になりたいのか、との問いに目を背け、闇雲にもがきながら、二十歳の頃書き始めた時から“己は作家である”と既に名乗っていた。なんだ、十代の私よ。お前は一応、お前の望むものに指一本ひっかけておるぞ。たくさんの人に届く程著名なものは作れていないが、それでも何人の人に自分の書いた作品を、演出した舞台を観てもらったろう。万には足らぬが、していなければ0だったのだ。若い私が願ったのは心に届く事、後の世に残る事。一つ目は心をこめてこれからもしていけば、腕はあがる。二つ目の事は、これは生きている内には分からぬ事やもしれぬ。分からぬ事に拘泥するのは無益だ。まあ人様の評価は取った方が何かとやりやすいから、無理せぬように営業すべし。尊大な羞恥心に足とられなければ妥当なことが出来よう。
“気分はいつも新進気鋭だ”と話したら、それはもう卒業しましょう、と窘められたことがある。しかし「将来」有望だとまだ期待しているのだ。我ながらなんて能天気、頭の中お花畑かと呆れるが、だって、ここを直したらましになる、と思われるところがまだまだざくざくあるのだ。残念なんだか伸びしろたっぷりなんだか。
俊太郎さんの詩に
“生きることを物語に要約してしまうことに逆らって”
というフレーズがあった。
要約しきれぬ生を戯曲として私は書く。今回はト書きまで全て読むことで舞台で演じる場合とは違う表出があることを目論む。
“生きているということ” をあなたはいつも書いていらした。
俊太郎さん、ありがとう。
それを言葉にする者に私もなろう。