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物語の悦び
本を読む事には中毒性があり、脳がもっともっとと欲しがる。確かに何かしらの快楽物質が出ている。うなづく方は多いだろう。
いわゆる「幸せホルモン」には4種類あり、
・「オキシトシン」は愛情と思いやりを
・「セロトニン」は安心とリラックスを
・「ドーパミン」はやる気を
・「エンドルフィン」は高揚を
それぞれ感じさせてくれるのだという。
読書が私にもたらすのは高揚だ。没入と忘我、妄想世界への自由な飛翔、未来への期待と恐れ。しかも己の本体はぬくぬくと安全な場所にあって。
同じく別世界への旅、例えば映画、テレビ、音楽、観劇では同等の愉悦はない。ライブだと演者から発せられる感情、息遣い、おそらくフェロモンなど、五感以上で受け取っている情報と同時性に酔えて別の愉しみが生じるが、二次元(テレビとか配信とか)だとすぐ飽きる。悦びを欲する性急さに情報提供量が見合わなくて冷めてしまう。だから通常お話は聞くよりも黙読が良い。読む方が断然速く、それよりも脳内映像が先走り、現実の時の流れを何倍速で超えて時を駆けゆく。物語の疾走のスピードに、躓き転びそうになりながら必死に追いていく、もどかしさ焦らされ感もまた快感である。
それでも今回は“お話の会”と題して読む。
大津に帰ってきたころ、大津市立図書館で催された「おはなし会」を観に行った。出演は中年~の女性たち十人ほどだったか、が、お話を一つずつ椅子に座って語るだけの会で、これが非常に見応えがあった。本を持たない暗唱で、読み聞かせでもなく、芝居でもなく、しかしいわゆる朗読とは一線を画した“語り”で素晴らしかった。中でも最後の演者、年配女性の沖縄の昔ばなしが圧巻で非常に印象に残っている。深い感動があった。おそらく長らく活動をされている団体のようなのだが、コロナ以降お休みされている気配で、最近はお見掛けしない。どういった方たちであるのかと少し調べたが発見できず。
今度の“お話の会”の企画には根底にこの舞台のイメージがある。いわゆる朗読だけではなく、「物語」の愉悦を伝えたい。お芝居での異世界への連れていき方とは違う、また、黙読とも違うはずの飛翔の旅。己の中の森と見知らぬ世界が地続きになる豊かさへの、なんて魅惑的な誘い。
一番おしまいのお話「最後の物語」で主人公の巴は五章で綴られ、幼少期~思春期~青年~女盛り~老年と年を経る。小劇場舞台でこれを一人の女優が演ずるとなると様々工夫が必要となろう。それを今回“語り”であればかなり自由に跳べるのではないか。おそらく主人公は役者ではなくて物語なのだ。
そんな予感があったのか、今回の衣装は初めから黒基調で決まっていった。演者は今回、物語の世界への媒体となる事を目指す。物語への奉仕。そう意識しての上演は初めてだ。表題写真は今日の稽古、上演会場で、ふくいと屋敷に舞台とする部屋に立ってもらった。どんなものに仕上がってくるか、後ひと月少し、お楽しみにお待ちあれ。