BBNを離れ、TCP/IPの元となる論文「A Protocol for Packet Network Intercommunication」を書き上げたBob Kahnだが、この当時の状況を、このように話している。
KahnがBBNを去る頃、BBNの中でも衝突があったようだ。
よりよいプロトコルが必要だということはわかっていたが、最初の装置に、そのプロトコルをどうやって入れるかわからなかったので、ARPAでホストコンピュータ側を見ていたVint Cerfに一緒に考えるよう頼んだ。
そのVint CerfもOral Historyで、当時を振り返っている。
当時、UCLAのSteve CrockerがARPAでリーダーを務めていたが、卒業のためUCLAを離れてしまった。その頃、Vint CerfはPh.Dを終えていたが、Crockerが抜けた後の重責を担わされたくないのでBob KahnがBBNを去るタイミングでスタンフォードに戻ることにしたらしい。
それにしても、キーとなる人物が2人揃って立場を変えるのは大変そうだが、このことがARPAのプロトコルを見直すターニングポイントとなったのだろう。
さて、Vint Cerfの近所ではXeroxでBob Metcalfeがイーサネットを開発していた。
Xeroxはイーサネットをプロプライエタリにしようと考えていたが、Bob KahnとVint CerfはTCPを誰でも使えるものにしようと考えていた。4度の繰り返しを経て、最終的にはTCPとIPを分離した。
TCP/IPが長寿のプロトコルとなっている理由のひとつがTCPとIPの分離だと思うが、Vint CerfのいたStanfordとBob MetcalfeがいたXerox PARCが近所だったことが影響しているというのもなんとも興味深い。