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「僕はここで教育はしていない」大人と子どもが共につくる“前向きなたまり場”

最新の取材記事が公開されました!

ポッドキャスト番組「山あり谷あり放送室」の相方、谷くんからは「はるな(ハリセンボン)じゃん!」と速攻いじられました。笑

さてさて、今回は「愛される場所」の秘密を紐解くというテーマで取材を依頼いただきました。とてもありがたいです。

VIVISTOP NITOBEは学校の中にあるし、教育の場として見られ、語られてきました。もちろん全く間違っていません。僕も教育者というカテゴリーから外れていない(と思っています)

ただ一概に「教育」といっても、この概念はとても広く、さまざまな教育の形があります。
VIVISTOPを伝える時に、相手が個々にもっている「教育」の概念を一旦外してもらわないと、僕たちが本当に大事にしたいと考え実行していることが、全然伝わらないのです。

VIVISTOP NITOBEは見た目やこれまでの活動からも「創造性教育」「STEAM教育」「美術教育」などの観点で捉えられることが多いです。そして、大人の興味関心は「子どもたちどう学び、何を学び、どう変容するのか。」と。そのために、僕たちが「何をしているのか」と。

この問いに対して真摯に向き合うためには、相手の「教育」の概念を外してもらう必要があると気付いたのです。そのために、最近は「創造性教育、STEAM教育、美術教育はしていません」と、あえてパキッと言ってしまう方が良いと考えています。

それで相手が「え?」とこれまでの概念を揺さぶられるところから、真意を伝えていきたいのです。

「僕はここで教育はしていない」

最近はこの切り出し方がよりシャープになって、こんなフレーズになってしまいました。
今回の記者さんは、このフレーズを大いに気に入ってくださって、なんとタイトルにまでなってしまいました。笑

あえて、ここで釈明すると、VIVISTOP NITOBEの教育的な意義や、教育者である僕たちが教育を手放したわけではありません。

僕たちは、ここで教育者でありながら、教育とはいえないかもしれないことに取り組んでいます。
教育現場にいながら、教育者ではないような振る舞いに取り組んでいます。

この相反する2つの事象に対して、どちらも手放さずに、抱えている。この矛盾の中から生まれるものを一生懸命に紡いでいこうという試みが、VIVISTOP NITOBEであり、僕たちの仕事なのだと思っているのです。