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反政府運動とレッテルを貼られるのが怖い、たかまつななさん

たかまつさんのツイートに貼られている記事のリンクが切れていますが、おそらくこちらの記事だと思われますので、貼っておきます。

そして、たかまつさんのツイートに関するまとめがありますので、これも貼っておきます。

ジャーナリストってなに?

まず、togetterのコメント欄でも誤解している人が多いですが、報道とジャーナリズムは違います。報道は単に事件・事故・出来事などを取材して、それを世間に伝えるものです。一方、ジャーナリズムとは必ずしも報道に限定されるものではなく、報道に対する解説や意見なども含みます。というよりも、むしろそちらがメインだと言っても良いと思います。そういう意味では、ニュース番組よりもワイドショーのほうがむしろジャーナリズム的なのかもしれません。ただし、報道ステーションやNEWS23のように、個人的な意見や主張を盛りまくるニュース番組は、ジャーナリズム寄りだと言えるでしょう。

また、ジャーナリストになるには特に資格など必要ありません。あるいは、必ずしも取材活動をする必要もありません。私のように、報酬を求めることもなく個人的な趣味でこうやって個人的な意見を書いてるだけでも、ある意味ジャーナリズムと言えなくもないわけです。ただし私の場合は報酬を得てないので、職業としてのジャーナリストではありません。

エビデンスってなに?

さて、ここからは本題である、たかまつななさんのツイートについて考えていきたいと思います。

彼女の言う「エビデンス」とは、おそらく共同通信の記事でしょう。短いので全文引用します。

官邸、反政府運動を懸念し6人の任命拒否 
2020年11月8日 06:00
 首相官邸が日本学術会議の会員任命拒否問題で、会員候補6人が安全保障政策などを巡る政府方針への反対運動を先導する事態を懸念し、任命を見送る判断をしていたことが7日、分かった。複数の政府関係者が明らかにした。(共同通信)

まず、「複数の政府関係者」って誰でしょう。もちろん取材源の隠匿という原則がありますので、共同通信がそれを伏せるのは理解します。しかし、その「複数の政府関係者」が正直に事実を言っている保証はないですし、共同通信が「複数の政府関係者」の発言をそのまま報道しているようにも思えません。仮に「複数の政府関係者」が正直に事実を言っていたとしても、記者の「解釈」が、そこに加えられてしまっている可能性は、否定できません。

したがって、共同通信の報道は「エビデンス」ではありません。たかまつななさんは「エビデンスに基づいて」などとカッコつけて横文字を使うのではなく、正直に「報道に基づいて」と書くべきでした。そうすれば、このような横文字の誤用もなかった。カッコつけて誤用をするのはとてもカッコ悪いです。

報道とエビデンスは違います。報道=エビデンスとなるのは、そのエビデンスに対して「解釈」の余地が1ミリもない場合だけです。先に、報道とジャーナリズムの違いを説明しましたが、なぜ報道とジャーナリズムが混同されやすいかというと、100%まったく「解釈」を含まない報道というのはほとんどなく、大半の報道は何らかの「解釈」を含んでいるからです。

「反政府運動」のレッテルを貼ったのは誰?

ところで、たかまつななさんのツイートは少し意味不明です。共同通信の報道によると、反政府運動のレッテルを貼られたのは、「任命拒否された6人」であって、たかまつななさんではありません。任命拒否された6人は、少なくとも彼らの自認はジャーナリストではないと思います。彼らは、彼ら自身の認識も、世間一般の認識も、学者でしょう。

また、元の共同通信の記事も意味不明です。見出しでは「反政府運動を懸念」となっているのに、記事本文では「政府方針への反対運動を先導する事態を懸念」と書いてあります。つまり、「政府方針への反対運動=反政府運動」と決めつけているのは、共同通信であって、「複数の政府関係者」ではない可能性が高い、と私は思います。

エビデンスに基づいていれば絶対に正しいのか

先に述べたように、たかまつななさんの言う「エビデンス」は、ただの報道であり、エビデンス足り得ないということは指摘させていただきましたが、それは別として「エビデンスに基づいた政策批判」は絶対に正しいのでしょうか?

つまり、「1つのエビデンスから導き出せる政策批判は必ず同じになるか?」ということです。

例えば、金融緩和政策1つとっても「そんなに金融緩和したらハイパーインフレになる」という批判もあれば、「その程度じゃ全然足りない、もっと金融緩和しろ」という批判もあるわけです。そして、この相反する2つの政策批判は、1つの同じエビデンスに基づいてます。

つまり「エビデンスに基づいている」ことは、その政策批判の正しさを担保しないのです。

みんな「日本を良くしたい」と思ってる

ところで、たかまつななさんの言い方で少し気になるのが、「日本をよくするための行為」という部分です。

じゃあ、菅首相や政府の人たちは「日本を悪くしよう」と思っているのでしょうか?違いますよね。首相や政府関係者だって、「日本をよくするための行為」をしている「つもり」のはずです。

政府を批判する側の人たちだってそうですよ。彼らが政府を批判するのは、「日本をよくする「つもり」」でやってるにすぎません。実際にそれで良くなるという確証なんてありません。逆に悪くなる可能性だってあります。

それなのに、批判側だけがなぜ正しいと思えるのか、私には不思議でしかたありません。いや、「正しい」という言い方はやめた方が良いかもしれません。どちらのやり方が、「日本を良くする」か、ということですね。私は政府のやり方のほうが日本が良くなると思ってますし、批判側の主張は、むしろ日本を滅亡に導くものだと思ってますので、わりと結構キツめの言葉で批判してますが、だからといって、批判の声を挙げるな、とまでは思いません。

単に、そちらにも言論の自由があるけど、こちらにも言論の自由はあるよ、っていう、それだけの話です。

ていうか、今の政府のほうが、政府に批判的な人たちよりも、日本を良くすることができる、と多くの国民が考えているからこそ、今の政府が存在するわけでしょう。そうじゃなきゃ政権交代しているはずです。

一方的に被害者ぶらないで

「反政府運動のレッテルを貼られるのが怖い」などと、一方的に被害者ぶるのは、やめていただきたいですね。こちらだって、ネトウヨのレッテルを貼られるのは怖いです。

もう少し、ご自身の加害性について自覚されたほうが良いかと思います。

念のために言っておくと、私は自覚しているつもりですし、これは政治の議論に限りませんが、誰かを批判するということは、大なり小なり加害性があるということを理解するべきだと思います。


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