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ネット中傷規制は根本的な解決策にならない。場合によっては「中傷」よりも「批判」のほうが人を追い詰める。

木村花さんの死去を受けて、芸能界隈と政治界隈がキナ臭い動きを見せています。

まず、政治家の皆さんに釘を刺しておきたいのですが、ネット中傷は既存の法律で取り締まることが十分可能です。刑法230条の名誉毀損罪、そして同231条の侮辱罪を用いれば、十分摘発できるのです。

この訴訟を起こすための手続きの簡素化、という点については、やむを得ないかなとは思いますが、新たな法規制等は設ける必要はありませんし、非親告罪化や厳罰化等は、するべきではありません。

ところで、先日、「誹謗中傷と批判の厳密な区別はできない」というお話をさせていただきました。

ですが、これをいったん忘れて、仮に「誹謗中傷と批判の厳密な区別はできる」と仮定しましょう。

じゃあ、誹謗中傷だけを取り締まって、批判はOKとすれば、木村花さんのような悲劇はなくなると思いますか?

私は、なくならないと思います。

その理由はタイトルにも書きましたが、時に、鋭い批判は、心無い誹謗中傷よりも人を追い詰めることもあるからです。

石川優実さんが、有象無象の誹謗中傷など目もくれず、青識亜論さんに対してだけ厳しい対応をするのはどうしてだと思いますか?

青識さんがインフルエンサーだから?もちろん、それが一番大きいと思います。

ですが、彼の石川さんに対する批判を「誹謗中傷」の枠に押し込めるのは、どう考えても無理があります。

そりゃ、青識さんも人間ですから、重箱の隅を突けば、これは誹謗中傷なんじゃないか?と言えなくもない「綻び」はあると思います。

ですが、全体のトーンを見れば、青識さんの主張は、どう見ても「批判」です。

露骨な誹謗中傷よりも、誹謗中傷を極力排した理詰めの批判のほうが、精神的に堪えている、私の目にはそう見えます。

現に、石川さんは青識さんに法的措置をチラつかせてます。もちろん、客観的に見れば、明らかに無理筋ですけどね。青識さんもおそらく、石川さんの法的措置は無理筋と判断しておられると思います。だから批判の手を緩めないのでしょう。

また「相手が誹謗中傷だと感じれば誹謗中傷」などと愚にもつかない主張を言っている人もいますが、これは朝田理論そのものです。

ここまで来たら答えは出てると思いますが、石川さん等が望む「ネット中傷の厳罰化」がたとえ実現したとしても、青識さんを取り締まることはできないのです。これが、厳罰化が何の解決にもならない理由。

木村さんの死を契機に、芸能人のみなさんがこぞって「ネット中傷やめろ」と声を挙げているように見えます。ですが、彼らの本音は「私を批判するな」なんじゃないでしょうかね。

政治家の方たちも、与野党を問わず、ネット上で常に批判や中傷を浴び続けています。だから、「ネット中傷を規制したい」という動機は、芸能人の皆さんと共通していると思います。

しかし、ネット中傷を取り締まることができたとしても、青識さんのような鋭い批判は取り締まれないので、やはり何の解決にもならないのです。

逆に、青識さんのような批判を取り締まることが可能になったらどうなるか。むしろ、そっちのほうがどう考えても危険ですよね。だって、誰も誰かを批判できなくなるわけですから。

政治家だけは例外?政治家がそんな法律作るわけないじゃないですか。それに、政治家だけを例外とするのは法の下の平等にも反します。それに政治家への批判のみを可としたところで、昭恵夫人や森喜朗氏は私人ですので、批判してはいけないことになります。

木村さんの死をきっかけに、世論が言論統制に向かうこと、これが一番怖いことです。心無い誹謗中傷に対しては、もちろん度を越したものは侮辱罪でも名誉毀損罪でも適用するべきだとは思いますが、批判のつもりでちょっと言い過ぎてしまった程度のものに対しては、たとえその言葉が誰かを傷つけていたとしても、容認しろといったら語弊がありますが、少なくとも行政や司法が介入するべきではなく、民間人同士の健全な批判言論によって抑止していく以外にはないのだと思います。

もう1つ。

「誹謗中傷と批判の厳密な区別はできる」と仮定の話を続けます(念のため、これは仮定です。私自身はこの仮定に否定的です)。

そしてなおかつ、批判される側に「どんな批判でも真正面から受け止めます」という心の広い人がいたとします。

もう、この時点でほぼありえない理想論なわけですが、このありえない理想が実現したとしても、人間が処理できる情報量には限界がありますから、大量の批判が殺到した場合、一人の人間がすべての批判を受け入れることなど不可能です。それをやろうとすれば、全ての批判に目を通すだけで精神的にも肉体的にも疲れ切ってしまうでしょう。

ですが、個々の批判者は1人分の批判しか書いてないのです。他人がした批判についてまで責任を取らなきゃいけない理由はないし、批判を殺到させた責任を取る理由もないのです。だって自分1人分の批判しかしてないから。

そして、一人分の批判すらもやってはいけないということになると、これは完全に個人の言論の自由が奪われてしまいます。そして、みんなが不幸になる。


さて、話は変わりますが、そもそも、木村さんの死に対する責任を「ネット中傷」だけに押し付けることも間違いなんじゃないでしょうかね。

世界各国で『テラスハウス』のようなリアリティ番組が人気を博す一方、出演者の自殺が後を絶たない、という事情があります。その数は世界中で30名をも超えると報じられています

「ネット中傷」に対する加熱の裏には、テレビ局側の責任を回避したいマスメディアの思惑もあるんじゃないかと勘繰りたくなりますね。

最後に、おそらく私とは政治的スタンスが正反対であろう(笑)、憲法学の先生が書いた記事を紹介しておく。



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