学徒「権力が為政者に集中すると為政者の独断で市民への課税や懲罰ができます。つまり国民の人権や自由が為政者によって脅かされるわけですよね」
狂魔「その通り。という事は、為政者への権力の集中を抑えれば、国民の人権や自由が脅かされる事を防げるとは言えないかな?つまり、為政者のルールを定める事により、国民の人権と自由を保障するというのが憲法というわけだ」
さて、ここに「論理の飛躍」が存在します。皆さん、わかりますか?
「権力が為政者に集中すると、国民の事件や自由が為政者によって脅かされる」という命題から「為政者への権力の集中を防げば、国民の人権や自由は脅かされない」は、導けますか?
両者は、対偶の関係にありません。よって、真ではありません。
ちょっと考えればわかる話ですよね。たとえ「為政者からの」人権や自由に対する迫害が抑えられたとしても、為政者以外の何かからの迫害が待っている可能性はいくらでもあるわけです。例えば会社、例えば反社会的勢力、例えばテロリスト、例えば外国の軍隊、etc…
そもそも「為政者の権力を限りなくゼロに近づけて行けば良い」というイデオロギーは、新自由主義とかリバタリアニズムとかいう類のものです。
勿論、かれらは「そんなことは言ってない」と反論するでしょうが、行き過ぎた政権不信、政治不信の行きつく先はリバタリアニズムです。今の日本で「自己責任論」が蔓延しているのは、まさに反権力主義者たちの布教、啓蒙が効きすぎてしまった結果なのです。
学徒「今議論していて気付いたのですが、ルールを守るべき政府がルールを変えるよう国民に要請するというのも、よく考えたらおかしいですよね?」
狂魔「そう。自由民主党による憲法改正の提唱はまさにそれです。憲法改正については、主権者である国民の側から為政者に対して訴えかける筋合いのものだから」
「主権者である国民の側から為政者に対して訴えかける筋合いのもの」というのも、一見もっともらしいことを言っているようで具体的に何をすれば「国民の側から為政者に訴えかけた」ことになるのを何も説明していません。
そもそも、私は選挙を通じて憲法改正を訴えかけているつもりです。
具体的には、憲法改正を推進する候補者に投票しています。
なのに、憲法改正を推進する候補者が、多くの国民の支持を集めて「為政者」になったら憲法に触れてはいけない存在になる、というのは、民主主義のルールから考えてもとんでもない矛盾ですよね。
そもそも「為政者」と「国民」を分断して考えるほうがおかしいのです。だって「為政者」は「国民(文民)」の中から選ばれるのですから。そして彼らは「為政者」になった途端に国民とは別の階級?に移るわけではありません。
あと、御多分に洩れず2,012年版自民党草案への批判をおこなってますが、「憲法改正」への批判と「自民党草案」への批判をごっちゃにするのは詭弁です。
この種の詭弁は「反自民+護憲」を掲げている人たちが常套手段として用いていますが、もやウィンなんてもはや自民党支持者でも覚えて無いものを持ち出して叩くとかセンスなさすぎですね。
自民党も、いつまでも2012年の草案なんかホームページに載っけてないでさっさと削除すれば良いと思うのですが、アレの作成に関わった人が残ってる間は難しいのかな。
憲法改正を訴えている我々でも、あの草案を支持している人など皆無に近いですし、安倍政権もあの草案をベースにした議論は一度もしていませんでした。
安倍政権が提唱していたのは「改憲4項目」。これは、野党時代に作った自民党草案とは全くなんの関係もないものです。