デンベレ&グリーズマンの差別問題
私の記事がこちらで取り上げられました。
結論から言うと、私は、彼の考え方に賛同できません。
人は皆、多かれ少なかれ何らかの差別意識を持っている、これは普遍の真理だと思います。
だから、人類は、心の中で何を考えていようが、実際に行動しない限りは罰しない、というルールを定めました(内心の自由)。
でも、ちょっと待て。デンベレとグリーズマンは実際に行動したではないか、とおっしゃる方もおられると思います。
確かに、彼らは差別的な発言をしました。「言うだけ番長」という言葉もありますが、発言するだけでも犯罪になる場合はあります(侮辱罪、名誉毀損罪、等)ので、彼らのしたことはすでに「内心の自由」の問題ではなくなっています。
とはいえ、ですよ。彼らは具体的に誰かに物理的あるいは精神的な被害を与えたのか、と言われたら、それはおそらくノーなんですよ。もしかしたら3人の日本人スタッフは実はフランス語を理解できて、精神的な被害を受けたが黙っていた、という可能性もなくはないですが、彼らが被害を訴えていない以上、その可能性はないものとして考えるべきだと思います。
差別はもちろんいけないことです。しかし差別と言っても程度には大きな幅があります。ナチス・ドイツがユダヤ人に対してしたことと、デンベレ選手が日本人に対してしたことは、果たして同じでしょうか。全然違いますよね。
10年前に韓国のキ・ソンヨン選手がピッチの上で猿のポーズを取って日本人を侮辱したにも関わらず、協会から事情を聞かれただけで、結局のところ何のお咎めもありませんでした。
公の場の差別パフォーマンスが何のお咎めなしなのに、2年も前のプライベートの悪ふざけが彼らの選手生命を奪うことがあろうものなら、それはあまりにも罪と罰のバランスが悪いし、正義の名の下に行われる新しい人権侵害ではないでしょうか。
フランスは死刑制度が廃止されているそうですが、いくら死刑を廃止しても、彼らの職を奪い、収入を奪い、餓死するか自殺するまで批判を続けるようなことは、あってはならないと思います。
もちろん彼らの発言は擁護できませんし、批判されるべきです。しかし、もう十分に社会的制裁を受けたと思います。あるいは、彼らを罰するにしても、執行猶予くらいは与えても良いのではないでしょうか。今回の問題が1アウトとして、2アウトまでは赦してもいいと思います。3アウトで永久追放でいいんじゃないでしょうか。
ちょっと前まで、私は日本がどんどん不寛容になっていると思っていましたが、もしかしてこれって世界的な流れなんでしょうかね。
私はキリスト教徒ではないですが、イエスは「罪を犯していない者だけが石を投げよ」と言いました。そして「赦しなさい」と言いました。欧米のキリスト教徒がこの言葉を守らないのは本当に不思議です。
タレントや政治家の「失言」を絶対に見逃さず、たとえ謝罪しても許さない風潮、ほんと気持ち悪いです。