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地方の建築家が「作品?」を作らなくてはいけないこと

地方を拠点に活動を始めて早二か月が過ぎ、生活は東京にいた時とほとんど変わっていない。変わったのは月一回の休みの日のレジャーの選択肢の多さだろうか?

地方で建築作品を作ること

現在は長浜のNCCスペースの設計に関わっており、そもそも「建築家」ってという話を一般の人に向けてまとめた。

https://note.com/ncc_shiga/n/n57dbe2362996

そんな中で地方「建築家」「作品」を作る意味についてきちんと考えなくてはいけないことを強く感じた。
何故なら地方では地元の建築家が作品を作ることは求められてない場合が多い。
隈研吾氏のような「先生」と呼ばれるような人は別だ
有名な先生が作品を作ることによって、何もなかった場所に観光資源が出来るからだ。もちろん一部の人の反対あるものの大多数の人にとってはそれは歓迎されるべきことである。
ただ一般の人から「建築家の先生」と呼ばれる人などのくらいいるのだろうか。もしかしたら隈研吾氏と安藤忠雄氏くらいかもしれない。都会のそれ以外の建築家達はワークショップや過去の実績でその穴を埋めていく。ただし、そもそもプロポーザルの少ない地方においては、先進的な地域のみでしか建築家は参加出来ない。いまだに中身を重視するプロポーザルよりも、安く作ることを重視する入札が多い。

都会で建築「作品」を作る場合、圧倒的にな物量の前に目立たないし、そもそも「作品」としてのある程度の需要もある。
しかし、地方ではその需要がないし、保守的な地域が多い中作品を作ることに抵抗感が強い。もちろん過去に作品を作り、使われていない地域が多くあるのも原因だ。ほとんどが住民不在で作られており、維持コストも多くかかる。

だから地方の建築家は、世捨て人として、住宅作品を追求し続けるか、もしくはメジャーなメディアで取り上げられ、注目されることで初めて認められるしかない

 ではそもそも何故作品を作らなくてはいけないのか

だからこそ、そもそも何で建築家は作品を作らなければならないのかを説明しなくてはならない。
その理由の一つとして一番大きいのは文化の「ジェネリック」化を阻止することである。(レムコール・ハースが都市がジェネリックシティ化という、全部の都市が均質化してきていることを20年前に提唱した)

現在はどこの地方でもリノベーションが盛んになり、古い建物の保存や活動が盛んになった。
もちろん、歴史を取り込み、街の人を巻き込んで施工したり、地域に開放することで、共同体をはぐくむこと出来る

だからこそコストをかけず、文化を守る安価なリノベーションを進めていくことは必要である。

ただ一つ懸念しなくてはならないことが、「リノベーションの手法がどこも一緒である」ことがある。床はモルタルで仕上げ、壁は補修かラワン合板など、安価に施工される。耐震改修や断熱性も無視されることも多い。バラック的に容易に作られたものは、容易であるがゆえに長く続かなっかたりする。また、イメージを提示された段階ですでに擦り倒されたデザイン手法であることもあったりする。

同じ手法でリノベーションを進めてしまうと、どこの街も結局は均質化してしまう。地方では特に古いものを守りながら、新しいものをつくっていく必要がある。

だからこそたまに建築家というスパイスは必要である


建築家が作品をつくるために

建築家は「作品」として別のベクトルから新しいものを生み出すことが可能だからだ。もちろん一人よがりの作品ではなく、地域の住民を巻き込んだり、歴史を紡いだりする手法が求められる。
途中ワークショップを開いて、意見を取り入れていくのも一般的になりつつある。そしてデザインは如何に地域の人から共感が得られるかを考えた方が良い結果をもたらすことが多い。

そして、プロセスを重視しなければならない。

作品を作ることによって、地域が良くなるかは目に見えてわかる場合は少ない。だからこそ過程をしっかり示すことが大事だ。どういう考えでこのデザインになったのかを示し、そこでツッコミがはいるような関係がベストであると考えている。日本では、「勝てば官軍」的な結果で評価されることが多いが、そんな博打よりも過程の正しさを求めなければ、建築家の作品は作るべきではない。
そして、デザインや芸術を理解するにはそれなりの教養が求められているし、その教育が日本だと薄いので、建築家はしっかりとそこに寄り添わなくてはいけない。


もちろん建築家を選定する側も問われている。
けど、常に新しいものを学び続けて、それ以上のものを求める公務員の方や地元の方も多くいる。

そしてコストがかかるので、建築家がすべての物件を任されることが良いことだと思わない。でももう少し、長く使う大、小の公共建築物に建築家が携わっていけばもっと地域も良くなるはず。

今後も建築家の作るものに反対は多くあると思うし、あるべきだと思っている。
だからこそ、建築家は反対する人にも真摯に向き合い、「作品?」を作っていかなくてはいけない。

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