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ついに発見‼️邪馬台国は〇〇にあった。

超古代史研究家 エビちゃんの
 素人だからできる突飛な発想❣️

 異説 邪馬台国 群馬県‼️

なんと、邪馬台国は群馬県だった‼️
 
 邪馬台国といえば、九州or近畿説が有力で
近年は、徳島県説や福井県説など様々な説がある。
 しかし、群馬県にあったというのは、エビちゃんくらいかもしれません。
 ここから、私の研究で発見した根拠を紹介します。

 🔸群馬県説を考えた根拠🔸

①豊富な馬
 魏志倭人伝では、邪馬台国には多くの馬がいたと記されています。群馬県は古くから馬の飼育が盛んで、古墳からは多くの馬埴輪が出土しています。

群馬県ホームページより転載


②畿内とのつながり
 群馬県からは、畿内と同じタイプの銅鏡が出土しています。これは、邪馬台国と畿内が密接な関係にあったことを示唆しています。

e国宝 サイトより転載
e国宝 サイトより転載

参考サイト  e国宝

③ 前方後円墳の分布
 群馬県には、全国的にも前方後円墳の密度が高い地域があります。前方後円墳は、ヤマト王権の墓と考えられているため、邪馬台国がヤマト王権とつながりがあったことを示唆しています。

群馬県 古墳群

④魏志倭人伝に記述された行程
 『水行10日陸行1月』
 これに該当するのは群馬県しかない。
水行10日で敦賀に到着
陸行1月 敦賀から約400km道のりで群馬県到着
 ・近畿説も九州説も陸路が海から近すぎる。

水行10日陸行1月


⑤肥沃な大地と大河川がある地域
 群馬以南の関東平野は肥沃な大地と大河川がある。この事により多くの人が居住する土地と農地がある。


⑥魏志倭人伝にある邪馬台国近隣地域の国名と類似する地名が現存している。
 奴国=那須 の南方には狗奴国=久那瀬がある。
邪馬台国と敵対していた奴国と同盟国狗奴国の境には渡瀬川、敵対するもの同士を渡らせない川ととれる意味合いの川があることも興味深い。

想像した近隣諸国マップ

 これらの根拠を発見した事により
邪馬台国=群馬県説を唱える。

 邪馬台国と同じように県名に馬があるのは群馬県だけである。
 ※県名は近代に決まった名前だけども、何かしらの由来があったから、その名がついた可能性もある。

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