猫本を思い出して猫がいない寂しさを埋めてる
家の中での癒しを求める人が多くなったらしい。そのおかげか猫を飼う人が増えたとか増えてないとか・・・。
私は実家に12年のつき合いになる元ノラ猫(以下、彼女)がいます。でも、コロナのせいで彼女になかなか会えない。
寂しさを埋めたいのと猫ブームでノラ猫が増えるのが心配で、猫助けのために保護猫の預かりボランティアを始めました!
・・・・・・。
いえ、カッコつけずに言うと猫でしか埋まらない穴を埋めたかったのが主な理由です。
でも、住まいやら夫婦のことやらを考えると今のところ
「実家にいる猫一匹以上の一生に責任が持つ覚悟がないなぁ」
となりました。猫の一生に付き合う責任を考えるきっかけになった本があります。ちょうど彼女を家に迎え入れた大学生の頃に読んだ。
町田康『ねこのあしあと』
著者と猫たちの日常が笑えるように書かれているけど、読んでから「猫と暮らすからには自分より先に逝ってしまう命の終わりを見届けないといけない」と意識するようになりました。
彼女は腎臓が一つ動いていなくて、人間より医療費もかかるし、話せないから気をつけて様子をみないといけない。
「なにかあった時にはできるだけ私が動けるようにしておきたい」と考えると他の猫と誠実に向き合えないな、と。
でも、あのあったかい塊が恋しくてたまらない・・・!というわけで保護猫の預かりボランティアを始めました。
彼女には「なんだかんだと言っときながら薄情だ」と言われそう。
ポール・ギャリコ『猫語の教科書』
人間の愛情に対しては用心深くしていなくてはなりません。
なぜなら時として、ムチで打たれるより痛い思いをさせられることがあるからです。人間の愛はときには冷めてしまい、猫はとり残されます。そんなこと、猫ならけっしてしないのに。
耳がイタい。
猫が猫のために書いたマニュアル『猫語の教科書』で「愛について」を読むと気まぐれな猫よりよっぽど人間の方が不誠実なのかもしれない、と思わされます。
人間はちゃんと躾ないと一緒に暮らすにはとてもムリな生き物!
と思われているのかも。
彼女は思ってそうです。寒い日はストーブの前を奪い合って、すごいお尻ぐいぐいされたし。かまわずに本読んでたら目の前に割りこまれるし。視界いっぱいの猫、なつかしい。
たまに、文字読んでる?
と思う時がありました。特に新聞とか。猫は人を超えた神様みたいな存在に思えることがある。猫神様、バステト神、化け猫、猫又、そのほかたくさん。
字も読めるような気がするし、猫と本の組み合わせはなんだか惹かれるものがあります。猫のいる古書店も多い。
夏川草介『本を守ろうとする猫の話』
呆気にとられている林太郎にかまわず、猫はゆるぎない語調で続けた。
「閉じ込められた本を助け出さねばならぬ。わしに力を貸せ」
二つの翡翠色の瞳が、鮮やかに輝くように見えた。
林太郎はしばし黙ってトラネコを見返し、それからゆっくりと右手を持ち上げて、眼鏡の縁に当てた。
猫×古書店が舞台な上に、トラネコに導かれて囚われた本を解放していく話。猫、偉すぎます。
この本に出てくる猫はコマンダーであり、「本を読む理由」を問いかけてくる存在でもあって、偉そうなどころか人を超えています。猫は人間を俯瞰するポジションのおさまりがすごくいい。
猫の一生に責任をもつなんて恐れ多い。
「お世話をさせていただいている」
と言った方がしっくりきます。
こうやって猫がいない寂しさを埋めようと今日も必死なくらいですから。
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