共同通信に「権力の監視」を頼んだ覚えはない
共同通信の記者で政権の批判を繰り広げていた人が、政権の要職に就任したことが物議を醸している。でもぼくは、就任した事実より、そのことに対する共同通信のコメントに強い違和感を感じる。
コメントは次のとおり。
この人事によって共同通信が権力監視を緩めることは、あり得ません。これからも時の政権に対して適切な距離を保ちながら、真相に迫る取材をしていきます。
ぼくが違和感を感じるのは「共同通信が権力監視」をしているという部分である。
そもそも共同通信は、誰に頼まれたのだろう。
ぼくは京都新聞を購読しているので、共同通信の間接的なお客様のはずだ。そのぼくが共同通信に頼んでいるのは
「真実の報道」であって「権力の監視」ではない。
「真実の報道」のその結果として「権力の監視」ができるのは事実だし、「権力の監視」は必要である。
でも、共同通信の取材の目的は「真実の報道」でなければならない。結果を目的にしてはならないのだ。
なぜなら、報道とは公正中立であるべきだからだ。彼らがすべきは、「取材」であって「監視」ではない。権力が行ったことをありのまま伝えられれば、「監視」は国民やNPOがやってくれる。
報道機関は、起こったことを起こったままに、正しく伝えさえしてくれれば良いのだ。
ところが、共同通信は「監視」しているつもりである。基本的に「悪いことをしていないか?」という視点である。だから記事の内容の節々に批判的な表現が入り、そもそも記事の選択の時点で共同通信の監視方針にそったものしか配信されなくなる。
つまり、権力を監視するつもりで取材するから、真実は報道されない。
日本最大の通信社が自分たちを権力の監視集団だと勘違いして記事を配信し続ける限り、残念ながら国民が正確な情報を得ることは永遠にないだろう。
繰り返しになるが、国民が報道機関に求めているのは「真実の報道」である。そして、それを使った「権力の監視」は国民に委ねるねべきだ。
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