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【ただのつぶやき】子どもを取り巻く大人の倫理

こんにちは。

みなさま、報道などで既にご存じの方がほとんどかと思いますが…静岡県裾野市の保育園で、悲しい事件が発生していますね(><)

私は、職業保育士ではありませんが、保育士の資格を持つ者として、また親として、今回の事件に心を痛めるものの一人です。

園側に対するバッシングは当然のことなのでしょうが、それだけにとどまってしまうと、結局は対岸の火事ということになってしまいます。

この事件を契機に、いかに自分の事として、教訓を得られるかが大事だと感じています。

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保育園(幼稚園)というのは、親御さんの目がない所で子どもを預かり保育するということが大前提のシステムです。

だからこそ、園の先生(保育士・幼稚園教諭・ほかスタッフ含め)一人一人には高い倫理が求められるといえます。また、園の組織体制としても、その倫理を維持・向上させる(もし誤りがあった場合は修正する)仕組みが必要だと言えます。

(※今回のケースでは、どうもそこが破綻していたようですが…)

ただ個人的に思うのは、そういった仕組みは園だけでなく、家庭にとっても必要なのじゃないのかな…って感じるのです。

今回は園での事件という事で、ことさら保育士に焦点が当たった報道がなされています。

でも、どうか親御さんの方もこの事件を対岸の火事とは思わずに、園(保育士)の倫理だけでなく、親としての倫理というものに、少し思いを巡らせてほしいなぁと思っています。

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倫理の話をしだすと「そんなの、園とか親とかに限らず、すべての分野でそうじゃないか!」と思う方も多いのではないかと思います。確かにそれはその通りです。

ただそれでも私は、やはり保育士や親には、周りよりも高い倫理を持っていてほしいという考えがあります。

なぜなら…子どもを取り巻く場において倫理の破綻が発生してしまうと、子ども達には実質的な逃げ場がないからです。

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例えば、大人の社会を想像してほしいのですが…

何かしらの被害を受けた人は、配偶者や家族に相談したり、はたまた警察や弁護士、労働基準監督署、裁判所…そういったところに駆け込む術がありますよね(※ハードルの高さは別として)。

これが、園に通うぐらいの子どもだったらどうでしょう。

そもそも、そのぐらいの年齢だと、意思をはっきりと持ったり、表現することができないぐらいの年齢の子がほとんどです。仮に表現できたとしても、大人の側がその気になれば、簡単に従わせることができてしまいます。

たとえ無理に従わせるつもりがなくとも、大人は簡単に『大人の都合』を武器にすることができます。

(※「園に行きたくない」と主張する子どもに対し、よくよくその理由も聞こうともせず、「お母さん(お父さん)は仕事なの!とにかく行きなさい!」というスタンスで接してしまう事って、実際にはありますよね。)

家出をしようにもお金もない…家出をしてお金があったところで、保護されて家に連れ戻されるのが関の山、といったところが実際ではないでしょうか。

もし、本当に子どもが耐えがたい苦痛を感じ逃げ出そうとしても、実質的には逃げ場なんて無いのです。

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かといって、なんでもかんでも子どもの言う事を聞いて、甘やかせばいいというわけでもありません。ここが非常に難しい部分なのだと思います。

ここで一番問題になるのが、大人側が持つの倫理なのではないかと思うのです。(※道徳やモラルとも言われますよね。最近ではエシカルという言葉も耳にするような…)

園にしても家庭にしても、子どもの行動に対して

「このぐらいなら仕方ないかな」
「これは絶対にダメ」
「どのように褒めようかな」
「どのように叱ろうかな」…

と考える場面は多々ありますよね。こういったところの判断基準は、まさに大人側の倫理にゆだねられるわけです。

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組織の場合では、上からのトップダウンにしろ、下からのボトムアップにしろ、意思決定や連絡体制に複数人の人間が絡むようになっています。また、平時の通常業務の場合においても、ゆるやかな相互監視機能があります。

ですので、組織内でなんかしらの倫理破綻があったとしても、複数人の目にさらされることで、そこに気が付くようになっています。そこを足掛かりとして、組織としての倫理を修正したり、維持なり向上なりができるのだと思うのです。

(※組織が崩壊すると、フィードバックは機能しなくなりますが…)

どんな組織であろうが、社会は組織に対して倫理を要求しています。ただ、これが園のような組織であった場合、ほかの組織に対してよりも、非常に高い倫理を要求する傾向があります。

よく耳にする内容では

「人様の子どもの命を預かっているから」
「その子の将来にとって大事な時期だから」…

といったものではないでしょうか。

でもこれって…自分の子どもに対してもそうじゃないの?と、私は感じるのです。

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家庭というものを組織として捉えると、通常の会社組織と比べ、非常にコンパクトであることがほとんどです。コンパクトな組織にはそれなりのメリットも存在しますが、デメリットも存在します。

今回お話ししているような、子どもを取り巻く環境に関する倫理破綻に関してはまさに、そのデメリットが出やすい組織構造だと感じます。

理由もないワンオペ育児の場合は言わずもがな(組織破綻のパターン)です。また、配偶者が協力的であったとしても、核家族化が進んだ今の世の中の場合では、祖父祖母の影は薄く、夫婦二人がその機能のすべてを負う構造になっています。

いったん家庭内で倫理破綻が起こると、ほぼ修正がきかないのが、コンパクトな家庭という組織です。

園と同じく、子ども命を預かっていることには変わりないですし、将来の見据えての大事な時期であることにも変わりはありません。

今回の事件において、園やその保育士がバッシングを受け、罪を償うこと自体については、もっともだと思います。

ただ、私達親にとってに本当に必要なことは、そのバッシングもほどほどの所で止めにして「では、自分はどうなのだろうか」という内省なのではないでしょうか。

社会的義勇の皮を被った、自己満足の世界にいるだけでは、本当にダメだと思うのです。

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園というのは、確かに外の世界からは閉鎖的に見える空間です。でも、家庭というのは、それ以上に閉鎖的な空間なのではないでしょうか。

その空間に子どもと一緒にいる以上、親は親としての倫理というものを、ある程度きちんと考えながら過ごすことが必要なのではないかと感じます。

難しいことをする必要はないと思うのです。周りの友人や、地域住民との雑談であったり、本を読んだり、ネットなどで情報を入手したり…そういったことの積み重ねでよいのだと思うんです。

ただ(私が)少し意識しているのは、『耳障りの言い情報だけを集めないようにする』ということです。本やネットに偏重すると、どうしてもこの傾向が強くなるきらいがあるように感じます。

(※この点、やはりいくらかはリアルな人同士の付き合い(それも自分でメンバーを選べないような集団)が残っていたほうが、良いような気がします)

親は、自分で自身の倫理を見つめなおし、また夫婦でお互いに相手の倫理に触れながら過ごすことが必要ではないでしょうか。

時に互いを賞賛し、時に互いに反発しながら…自分の子どもにどう接し、どうなってほしいのかを、真剣に考えてみるのもよいものだと思います。

いまいち、うまくまとまりませんでしたが…そんなことを考えさせられた、師走の報道でした。

私も人のことをどうこう言わずに、自分自身の内省や、嫁さんや親友達、周囲の人々とも色々意見交換しながら、親としての倫理について考えていきたいと思います(><)


・・・おわり

※※※ ここからはお知らせ ※※※

いつもは、子どもにまつわる防災や応急手当、日頃気を付けたいことに関する記事を、月1(+臨時で不定期)で書いています!どれも、忙しいパパ・ママ向けの、サラッとライトな内容なので、ぜひ一緒に見ていってもらえると嬉しいです(^^)下に、過去の記事をマガジン形式で纏めましたので、ぜひご覧ください!


また、私の日々思っていることや、好きなことなど、私がどんなやつなのか、どんな考えをもっているやつなのかが分かりやすい記事については、下の【ただのつぶやき】シリーズが、わかりやすいかもしれません。少しでも「パパ防災士:牛尾崇彦」個人に興味を持たれた方は、覗いていただけると嬉しいです!

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※※※ お知らせ終わり ※※※




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