一人の郵便配達員によって、偶然発見された秘仏 - 石窟庵(ソックラム)
1909年 吐含山(トハムサン)の峠を越えようとしていた地元の郵便配達員。
突然の嵐に、山中の洞窟へ避難。
嵐からなんとか逃れホッとした時、自分の後ろに何かの気配が。
おそるおそる振り返る郵便配達員。
そこには、巨大な石仏とそのまわりに並ぶ諸仏。
山奥で巨大な石仏見て、郵便配達員の人は、きっと飛び上がるほど驚いたでしょうね。
新羅の仏教芸術の最高峰とされる石窟庵は、こうして発見されることに。
石窟庵は、751年 新羅第35代景徳王時代の宰相(さいしょう)金大城(キムテソン)が、前世の両親のために創建。
金大城の死後、国家が事業を引き継ぎ、8世紀後半に完成。
石窟庵は、インドや中国の石窟寺院同様、自然の岩を掘って造られたように見えます。
でも実は 山の斜面を円形に削って、そこに花崗岩(かこうがん)の石材を精巧に組み上げて建造されたもの。
石窟庵は、世界でもたいへん珍しい石窟寺院なのです。
石窟庵の主室の中央に鎮座するのは、ご本尊の如来像。花崗岩を一石彫りしたもの。
如来像のまわりの壁には、多数の諸仏を彫刻した石板。
仏の世界である天界のある主室は石造り。
そして、この世である地界を表している前室は木造。
前室から主室を拝見。
保存のためガラス越しの拝観になり、残念ながらご本尊に隠れ、いくつか見えない仏様の石板も。
それでも、荘厳な雰囲気は充分実感。
内部撮影は出来ないので、じっくり拝観して、目と心に焼きつけましょう。
叶含山の自然に守られているような木造建築の前室。
石窟部分は背後の盛り土されている部分。
1962年からの改修工事で前室の建物は再建。
美しく大きな如来座像と、それを取り囲む諸仏。
石窟庵は新羅の人たちが理想とした、浄土の形だったのでしょうか。
石窟庵は、仏国寺(プルグクサ)からバスで20分くらいの場所
仏国寺では、観光客がけっこういたのですが、石窟庵は比較的静か。
バスを降りてからも、少し坂道を歩きますが、ぜひ大きくて美しい如来像に会いに行ってください。
一見の価値ありです。