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太陽が屋根にねぢれていると言ふ / 古屋夢村 【著作権のおわった柳人の句をよもう!】

太陽が屋根にねぢれていると言ふ

古屋夢村(1895-1952)


 「捻れている」「捩れている」「ねじれている」…。どの表記よりも、“ねぢれている”が一番「ねじれ感」があってよい。

 擬人化された“太陽”が、同じく擬人化された“屋根”に向かって「お前、ねじれてるぜ」と言っている場面…とも解釈出来るし、“太陽”そのものが、「屋根という場」でねじれているところを目撃してしまった人が、そのように言った場面なのだ…という風によむことも出来る。

 擬人法でよむのだとしたら、確かに上空に居る“太陽”さんの視点から見れば、甍屋根の波打っているような感じは、〈地上がねじれている〉ようにも見えるかもしれない。屋根の側からしたら、そんなのは余計なお世話この上ない忠告だ。「俺はここを立派に守ってるんだよ!」と返したくなるだろう。しかしそんな人工物など、やはり太陽さんからしてみたら、〈地上の“ねぢれ”〉に過ぎないのかもしれない。

 一方で、擬人化ではないそのままよみ…。つまり、屋根の上で太陽そのものがねぢれてしまっている、という景も捨てがたい。だって、“ねぢれている”はずないのだ。常識的に。そうなれば、問題は“太陽”の側にではなく、「太陽が屋根にねぢれている」と発言した人間の側にある。発言者は、そのうち、ゴッホのように自分の耳でも切り落としてしまうのではないだろうか……という危うさ。あまり近づきすぎない方が無難かも知れない。が、それでも近づいてみたくなってしまう魅力のある人だ。

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