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墓場から出た蛇何か身内めき / 前田雀郎 【著作権のおわった柳人の句をよもう!】


 あけましておめでとうございます。へびさんの年ですね。🐍
 ということで今回のnote評価では、“蛇”が詠みこまれた句について取り上げることにします!

 こちらの一句。

墓場から出た蛇何か身内めき

前田雀郎(1897-1960)


 まず、“身内めき”という、日本語というか、言葉の並びを初めて聞いて驚きました。
 接尾語せつびごとしての「○○めく」。……春めく、ほのめく、ざわめく、とか、そういうのはよく聞きますが、そこに“身内”を持ってくるというのは、かなり新しい気がします。「〇〇めく」の意味としては、「〇〇らしくなる」こと。この句の場合、語り手が墓場で出会った蛇が、どこか「身内らしさ」を放っていた…ということでしょうか。
 もしくは身内がすごく蛇に似ていたとか…?……大蛇丸…?いやいやいや、新年早々ふざけるのはよくない。いや別にふざけてもないんだけど、真面目でもないなこれは。

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 身内の墓参りに行ったら蛇が出てきた…という、そんな光景を詠みつつ、語り手は、その蛇そのものに“何か身内”らしさを投影します。四肢はなく、地を這う長い爬虫類に、自分の身内を重ねるというのは、すこし特殊かも知れませんが、一方で、なんだかわかる感覚でもあるような気がします。

 これが、「墓場から出てきた蛇は身内めき」ではなく、“墓場から出た蛇何か身内めき”とされているところが絶妙に良いです。この“何か”…は、かなり効いてますよ。確信はまったくないような、ぼんやりとした投影。
 先程は、蛇そのものが身内らしさを放っている?みたいな解釈や、生前の身内の人がその蛇に似ていたのでは…?みたいな解釈も提示してみたのですが、たぶん別に、そういうわけでもないのかなあと思いました。
 むしろ、蛇よりも語り手の側が、「そうだといいなぁ…」と心のどこかで期待しているような感じもします。それこそ変な日本語かもだけど、「語り手が蛇を身内めかしている」ような…。すこし、切なさも感じました。会いたいとか会いたくないとかではなく、蛇を見て懐かしむような身内…。

 考えてみれば、「身内めく」、じゃなくて“身内めき”…なので、この句の語りそのものに、どこか続きがあるような気もしたり…。


 音としては、綺麗に十七音ですが、意味的なリズムの切れ目は9-8。でも、途中に一字空けとかもないですし、5-7-5で切って読みあげたとしても違和感は全然ありません。綺麗に川柳という感じがしました。

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 今回は、ざっとこんな感じで…。今年もnote評、自分のペースで続けられたらいいな。

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