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宴はてゝ長き廊下の光る淋しさ / 森井荷十 【著作権のおわった柳人の句をよもう!】

宴はてゝ長き廊下の光る淋しさ

森井荷十(1885-1948)

6-7-7というリズム。七七で終わるところに、どことなく短歌的な雰囲気を感じたりもする。

読者を置き去りにすることもなく、「祭りのあと」の景と感情とを綺麗に、上手に表した句だと思う。

でも、正直、“宴”のあとにみんながそこを通って帰った“廊下”があるってだけでも、まだいいよなあ…。なんて思ったりもする。

ぼくはもう、知り合いや友人たちと「zoom飲み会」自体はやらなくなったけれど、それでもコロナ以降、例えば「読書会」などをはじめとしたイベントや、打ち合わせなど、なんらかの「集会」が電子画面を通して行われることは圧倒的に増えた。
顔を見ているときは何となく楽しいけれど、画面を切ったあとの虚しさったらない。

もはや、“淋しさ”とかですらない、なんか「なんの意味もないんじゃないか?」なんて思えてくるあの感じ。
「虚無感」よりも、「無」ですらないあの感じってなんなんだろうね?

それで考えると、まだ“淋しさ”に一定の風情があるこの句は、なんだか普遍的な感覚でありつつも、もうすでに現在から見るとノスタルジックにも片足突っ込んでるような感じもした。

ある程度、この“淋しさ”が普遍的な感覚であるような時代が続けばいいな…なんてことを思ったりしました。

…うーん。
今回のはいつも以上に、あんまり川柳評って感じじゃないかもしれませんね。

でも、それでも、この句を今このタイミングで読まなければ、こんなことを思ったりすることもなかったよなぁ…っていうのもほんとのことだったりする。

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