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みどり  あや子  るり子  歩む / 川上日車 【著作権のおわった柳人の句をよもう!】

みどり  あや子  るり子  歩む

川上日車(1887-1959)

なんかどうしようもなく遠い感じ。一字空けはそれなりに使う川柳人もいるけど、二字空けは中々しない。覚悟がいる。

…とはいうものの、川上日車には

錫  鉛     銀

川上日車

という五字空けの句(※1)もあったりするので、それに比べたら二字空けくらい…と思われるかもしれない。

しかし、“錫”の句は本当にただ即物的な単語を並べ、ある意味で解釈それ自体を拒絶しているのに対して、“みどり”の句にはどこか情緒があるように感じられる。

女性三人の下の名前。
元カノなのか娘なのか、教え子なのか、アイドルなのか…。よく分からないけど、自分にとって「名前呼びがしっくりくる」人たちでありながら、そこに一定の遠さを感じる。

二字分の空白。天と地ほどの離れではない。それよりもむしろ、届きそうなのに絶対に届かない…というニュアンスの方が近いように思える。

最後の“歩む”から喚起される、どうしようもなさ。
みな其々の人生を歩んでゆく。
それを、上からなのか下からなのかは分からないが、少なくとも同じ目線の高さではない場所から見送るしかない語り手を想像してしまった。

切ない。

と、思いつつ、なんのことはない、“錫”の句と同じような即物的な単語(“みどり”句の場合であれば即物的な固有名詞)の羅列と配置に過ぎない…というよみの可能性が残されているところも魅力だと思う。

その即物的なよみの可能性も残されているからこそ、「いや、しかし…」と、少ない情報からまた別の情緒ある解釈も出来てしまうような気がした。


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(※1)
資料によって、少しズレがある。
『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房、2020)では、錫と鉛の間が2字分の空白、鉛と銀の間が5字分の空白であった。
『近・現代川柳アンソロジー』(新葉館出版、2021)では、錫と鉛の間が1字分の空白、鉛と銀の間が4字分の空白であった。

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