【past.001】3歳で処女卒業した話。
⚠️この記事には性虐待や暴力等の具体的なエピソードが出てきます。精神的に不安定な方や過去に似た様なトラウマがある方は読まないでください。⚠️
[この記事は過去に母から聞いた話や私が育つ過程で関わった大人の話、過去の自分の日記、記憶等に準えて書きます。]
私の処女卒業は3歳だった。
大抵の女の子は性行為が何なのか理解できる年齢で卒業するのだと思う。
私の周りの同級生も早くても中学生で好きな人と初体験!がデフォルトだった。
私は性行為の意味もわからない年齢で卒業した。
相手は血のつながりがない義理の父。
今思い出しても鳥肌と嫌悪感がすごいが40代のおじさんが3歳に欲情して手を出したのだ。
もちろん行為の意味もわからないし、身体のサイズ差も大きいのでとても痛かった。
3歳という幼い頃の記憶なのに未だに鮮明に思い出してしまう消してしまいたい記憶。
母親がお風呂や買い物等で私から目を離す時に決まって義理の父は私に気持ち悪い目線を向ける。
そして行為を始める。ものすごい痛みと嫌悪感。
泣くと平手打ちされるか首を絞められる。
最初は母親にバレない程度に痛めつけられた。
これのせいで母親は"この事実"に気づかないでいた。
しばらくは私の体を見たり、触ったりして1人でに行為をしていた義理の父だがいつしか本番行為をしようとする様になった。
もちろんそんな事は身体に差があるので中々上手くいかない。でも無理やりする様になった。
ものすごく痛かったし、幼いながらに気持ち悪さを感じて叩かれる事は理解していたが大きな声で泣いた。
その後母親が買い物から帰ってくるなり私を見て、
驚いた顔をして叫びながら近づいてきた。
私の股からは血が出ていた。体にはあざもできていた。
(後に母が病院に連れて行ってくれたらしい)
母は義理の父に大声で怒鳴った。何と言っているかはわからなかったがものすごく怒っている事は理解できた。
その後義理の父は私と母に手を挙げて"支配"する様になった。
酒✖︎タバコ✖︎パチンコ✖︎DVをやっている典型的なクソ親父だったので、タバコや酒が無くなると決まって母に大声で怒鳴りつけて買いに行かせる。
私も一緒について行った。
その時の母の顔がものすごい嫌悪感と悲しさに塗れた顔をしていたのを今でも思い出せる。
そんな日々が続いていたが母は限界になり勇気を出して私と夜逃げした。
母親のお母さん、つまり私からするとおばあちゃんは母が高校生の頃に亡くなっているのだが、おばあちゃんの仏壇や遺骨や思い出の品も全て諦めて必要なものだけを持って酒で深く眠っている義理の父にバレない様に夜中逃げ出した。
幼いながらに
「騒いではいけない、声を出してはいけない、バレてはいけない」といった緊張感があったのを覚えている。
無事に逃げ出した後ホテルに何日か泊まって、入所できるシェルターも決まった。
そこで母親は昔勤めていたスナックでまた働き出す事になった。
その後私はなぜか養護施設に入る事になった。
なんで入る事になったか記憶は無いが後々母親が私に手をあげたからだと知った。
母は既にもう壊れていた。精神的におかしくなっていた。あれだけ義理の父から手を挙げられる事が嫌だったはずの母がいつからか私に手を挙げる様になった。
今思うと壊れ始めたのはもしかしたら私が生まれるもっと前なのかもしれないと思う。