生徒を指導するとき
生徒が課題を出さなかったときやテストの点数が悪かったとき。
あるいは、校則や法に触れた行為をしてしまったとき。
逆に、親切なことや頑張りを見せてくれたとき。
教員は生徒に様々な指導や声掛けを行う必要があるが、気を付けなければならない点を挙げてみる。
その瞬間に声掛けをしよう
生徒が良いことをしても、悪いことをしても、大切なのはその場で(もしくは気づいたときに)声掛けをすること。
時間がたてばたつほど、打算的なものが無意識に働いてしまう。
これが意外と難しく、私自身もあとで後悔することが多い。
叱るときは、話を結びつけない
また、叱るとき・注意するときはその時点で指摘すべき点のみを指導すること。
そういえば、あの時もこうだった。その時もこうだった。
2つ以上のことを結び付けて、だからお前はダメなんだという指導は、個人的には一番やってはいけない指導だと思う。
色々結び付けて分析した気になって満足するのは指導する側だけ。
指導される側は何で叱られているのか焦点がボヤけたまま。
残るのは「怒られた」という事実だけ。
生徒は何も学べないし、教員もその背景を知ることができなくなる。
マイナスの感情はそのまま出さない
何故、お前は俺の気持ちがわからないのか?
学園もののドラマの影響だろうか、
こういうことをいう教員はどの学校にもいる。
熱血教師っぽく見える上、生徒を自分の色に染めやすくなるので、若手はそれを実践してしまいがちだが、これはあまり感心できない。
物事には必ずや原因や理由があるし、生徒の行動にも、必ずその背景がある。
感情的に怒鳴りつける行為は、
私はあなたの事情なんて興味ありません。知りたくもありません。
と公言しているに等しい。
例えば、テストの成績が悪かった場合、生徒の勉強不足という原因は確かにある。
ただ、その背景には以下のような様々な原因も考えることができる。
・その教科が元々苦手意識が強い
・授業方法が生徒に合わない
・担当教員との相性が悪い
・他に悩み事を持っている
生徒に感情的になって指導すると、「これは悪いことだ」と植え付けることができる。また、指導した気になるため、仕事やったった感も満載。
逆に、生徒の本心や困り感、背景を無視して押さえつけているので、長期的に改善することはまずないし、十数年後同じことを子どもや後輩にする悪循環も生まれてしまう。
「なぜ、こうなったのか」を指導する前にこう考えるだけでも、生徒が学校を去った後(転退学含む)にもつながる、本当の指導になるのではないだろうか。
さいごに(ただの愚痴)
ここ数年、お役所向けの文書や報告書、仕様マニュアルなどを書きすぎたせいだろうか、偉そうな文体から抜け出せない…。