解散した家、将来の夢。


冒頭

多分私は、理想の家のイメージをもっている。
理想の家族とは違う。
こういう人が望ましい、こういう扱いを受けたい、この程度与えられたい…など条件で描くと、少々違和感がある。
帰る場所、素直に帰りたいと思える場所をずっと探している。
私は一人でも楽しくて幸せだけど、なかなか帰る気分になれなくて、いつも日が暮れるまで寄り道している。
昔思い描いた家があって、自分でそれを建てた場合、その中にどんな人がいたら馴染むのか、まだわからない。

幼少期のこと


思い出して、書いてみる。
小学校で常に、私は学年で一番背が低かった。
二番目の子と比べても、5cmは背は低くておチビだった。
その前、保育園に通っていた頃は髪が長くて、卒園前にバッサリ切った。
習ったバレエも辞めた。
家の中で色々な変化があった。
毎晩暗い部屋で本を読んでいたら、視力が一気に下がった。
学童に通っていたけれど、だんだんとつまらなくなった。
ある"映画を観る日"、『学校の怪談2』をみさせられて嫌になった。
それからは、学校が終わったらバスに乗って祖父母の家に向かう日々だった。
祖父も祖母も大事にしてくれて、凄く好きだった。
祖父は、おもちゃの弓矢、押入から滑り台、雪の鎌倉、ベランダでテント、八畳間に厚紙で作った迷路、独楽、他にも沢山手作りして遊んでくれた。お人形も買ってくれた。公園にも連れて行ってくれた。
祖母は毎晩ごはんを作ってくれて、「居候」とか無神経なことたまに言う人だけど悪気はなく、正直で優しかった。今もそう。
その後またバスに乗って自分の家に帰る。
一度だけ、降りるバス停を間違えてしまったことがある。
まだどう引き返したらいいかも分からず、ちょっと大変だなと焦って、でもなんとなく戻ることができた。確か運転手の方が助けてくれたと思う。

家で一番怖いと思った出来事は、駐車場でネズミが死んでいるのを見つけたことだった。
"名前を言ってはいけないあの虫"(G)が出ると、なぜか毎回私が叩いて駆除していた。
大体の虫を美しいと思って好きな方だけれど、私は"あの虫"だけは今も怖い。
家で幸せなこと、楽しいこと、仲良しなこと、いくつもあったはずで、まだあまり思い出せていない、申し訳ないことに。

弟ができた

私にとっての素敵な思い出は、数えた限りだと弟が生まれた後が多い。
暇だからよく抱っこして、楽しかった。
私は手の親指がまむし型なので、泣いた時とりあえず指をだすと、赤ちゃんは咥えてしばらく吸ってみるけど、何もでないとわかるとまた泣き出してかわいかった。
ガキだったので、その遊びを無限に繰り返した。
座れるようになってからは、頭が重くて不安定だから、後ろにひっくり返って後頭部を床に打ちつけていた。
親は呑気で、私も初めは「面白いなぁ」と眺めていたけれど、あまりにも頻繁にひっくり返り大泣きするからだんだん心配に変わっていった。
弟は大変頭が良く、喋れるようになる前から、小学生向けのパズルを3分かけず完成させた。
感心した私は、パズルを崩して提示する役割に徹して「赤ん坊なのになぜこんなに早いんだろう」と飽きずに観察していた。楽しかった。
喋りだすのは少し遅くて、ごはんは綺麗に食べられるし、絵も描いて、よく笑って、少し転ぶと即大泣きして、凄くかわいかった。
何を着てもよく似合っていて、子役になったらそこでも一番可愛いだろうと思っていた。
「これはラスカル」と言いながら、絡まった毛玉の絵を見せてきた日に「このラスカル、どれが目なの?」と訊いてみた。
それからすぐに弟は生物の顔が描けるようになり、姉は度肝を抜かれた。
幼稚園に通うようになって、活発になり、後ろをついて歩くことは減って、生意気に見えることは増えた。
夏の公園で一緒に花火したり、祖父母の家で二人揃って目が死んでテーブルを囲んでいたり、ハワイにいたり、様々写真があったから、他所の姉弟と比べたら仲良しなんだと思う。

弟はこのnoteを読まない。
自分だったら、覚えていないくらい昔の自分の具体的な話を世界に晒されたら、名前がでなくても嫌なので…まだ沢山話はあり、面白くて大事なんだけれど、このあたりにしておこうね。
(爆笑)
私は赤ん坊のときの自分について、五つほど知っている。

家出少女

あくまでも私の話。
後悔がある。二つある。
高校生の時、本格的に家出をした。
自分には必要だったので、何も叱られる筋合いないと思っている。
三箇所ほど、友達のお家にお世話になった。
それで、一般的な家庭は、家出少女を受け入れてくれたりはしないと学んだ。
受けてくれたのは、凄く素晴らしくて豊かなお家と、親の姿が見当たらない不思議なお家だった。
(中学生の時は家出先がなく、TSUTAYAに居座ったら保護してくれた。私は今もこの先もTSUTAYAが大好き)
卒業後、いくつか壁を越えて、一人暮らしを始めた。
最初の一人暮らしはワンルームで、商店街の並びにあって、洗濯機はなかった。
簡潔にいうと、とても楽だった。

後悔の一つ目は、誰にも挨拶しないで一人立ちしたこと。
自分の気持ちを守るので精一杯だったし、何を言っても伝わらないと決めつけていた。
弟には、何か言ってから出れば良かった。多分一つも理解されなかっただろうけれど、理解される必要などなくて、ただ置いていくって気がかりがあったなら自分の為にそうするべきだった。
多分、弟は全く気にしていない。
姉は元々被害者意識も加害者意識も強くて、強いって自覚があったから、自分の一挙一動は他人にとって無意味だったり、余計なことなんじゃないかなと躊躇した。
私が家を出たすぐ後、母も出ていってしまったと後で知った。
その時、本当の寂しい思いをしてしまったのではと思って拭きれない。

罪の意識で気持ち悪い

今、弟は立派になって賢くて、何か不快な出来事があっても他人のせいにするような愚かさが全くない。偉すぎる。
会うと仲良くしてくれる。
こんなに頑張って生きている。
罪悪感を手放したいからと謝るのは勝手で、失礼ではないかと思った。
できるなら、謝りたい。
事情があっても、訳があっても小さい子を置いていったらいけない。
不安にさせない。

話すと楽しいし、大きくなって凄く嬉しくて、自分はまだいくつか駄目で、それで軽率に絶望したりしないで、しっかりしようと前向きになれる。
会わなくても、人生は色々起こるから、苦難は乗り越えて、なるべく楽しいこと嬉しいことが多く与えられて、辛いことはあまりないといいな。辛い後は、必ずその後に凄く良いことがあってほしい。
そうでないと誰かを許せないって思う。
弟にとって、私がプラスになるなら会いたいし、もしマイナスになるなら会わない方がいい。
私にとって大事な人達がより良く生きていけるように、私は弱い分を克服して、大事な誰かの足を引っ張ることがないようになりたかった。
だから、最強だと思っていた。
姉は大袈裟で気持ち悪いのが万が一バレてしまったら、しんどい。
noteを読まれること、どうか今後もありませんように。

責任転嫁

二つ目は、玄関にあった鏡。
誰かが玄関のドアの正面に巨大な鏡を置いて、子供心に「趣味悪いな」と邪魔に思っていたた。言わなかったけど。
同年代の中では多く本を読んできたから、風水の知識もその頃あって、「ドアの正面に鏡を置くと、外から入った良い気を鏡が跳ね返してしまう」と知っていた。
風水も占いも、信じきって忠実に守るタイプにはなりたくなかった。
鏡は重かったし、もし割ったら怒られるし、試しに少しずらしたところで何が変わるでないかって思うことにした。
昔から貴重面で潔癖気味だったから、一度気になったらなかなか諦めづらいけど、どうでもよくなろうとした。
鏡も、玄関に沢山あった靴も、傘も、新築だった家も、新しい穴も、陽当たりのよい大きな窓も、ガラスの表札も、井戸も、お隣の屋根に飛ばしてしまったバドミントン羽根も、弟のLEGOも、私のギターも、どうでもよくなった。
何回も家出して、どうでもよくなった。
その家は綺麗だった。
結構多く引越しをしてきて、その家が私達には最後だった。
一番綺麗で、治安も良くて、弟がいて可愛くて、近所にTSUTAYAと立派な公園があった。
ちょっと高級だった。
ハワイに行ったことがあった。ハワイでイルカに触れて、なんだかそわそわした。
日本に帰る時、「次はグアム行ってみようね」と話した。
辛いことだけじゃなくて、素敵なことがきっと沢山あったはず。辛いことだけ思い出すのは良くないね。
なぜあの家が最後になったんだろう。
原因はいくつもあった気がする、各々が家族より自分を優先したのが重なっていた気もする。
取り返しがつかない罪は一つもなかったように思う。私には知らないことが沢山ある。
けれど、大事な人ならもし傷つけられた場合も絶対許せないということはなくて、その先の行動で救われると思っている。
何年も経って、それで絶対許せないということなら、きっとその人は大事ではなかったんだよ。
だから、私は鏡をずらせば良かった。

自由させてくれて、ありがとう

学校、バイト先、事務所、他にもいくつか。
周りの子達がしない間違いをした。
代わりに優秀な記録もあった。
少し諦めが早い部分があって、振り返ると全然満足していない。
満足はしていないけれど、後悔もほぼない。
その瞬間、瞬間にて望む選択ができた。
多く悩んだのは、一番望む選択を見つけるためだった。
自由に恵まれていた。
どんなに悩んでも、縛られて逃れられない人がいる。
ずっと誰かに心配してもらいたくて、何度も逃げたり閉じ籠ったり飛び出して、それが無意味と思うと哀しんだ。
縛られていて、逃げたり閉じ籠ったり飛び出す道を塞がれている人もいる。
(どちらがより不幸とか、頑張っているとかは話さない)
近くにいた誰か達より、自由が多かった。
私には、私だったからこそ感じる機会を得られた心がある。
勿論あなたには、あなただったからこそ感じる機会を得られた心がある。
私だったから、これから何を大事にするべきかわかる。
何を大事にしたいかわかるので、選ぶ。

将来住む、理想の家のイメージがある。
庭もある。植物が好きだから、そこで育てる。
バイク置き場もある。免許はまだだけれど。
客間がある。仲良くしてくれる友達や親戚が遊びにきてくれる。
台所がある。陽当たりがよい。食器は少ない気がする。
できたら、音楽室があるといいな。地下室、楽しそう。
他にも色々ある。お気に入りの物も置く。
どういう人が一緒に住んでいるんだろう。
どういう人ならいいなんて、理想の家族像はない。今のところはない。
どういう顔しているかわからない、性格もわからない。私のこと邪魔にならないでほしい。
仲良くできるといいよね。

#エッセイ #家族 #これからの家族のかたち #振り返りnote #子どもに教えられたこと #君たちはどう生きるか

いいなと思ったら応援しよう!