2014年2月18日火曜日

今日はあまりにだるくて(あ、だるいってのは、おなかが痛いくらいの意味です)

ベッドから前半戦でらんなかったので(後半戦は、ベッドから出た)

諦めて青空文庫で萩原朔太郎『月に吠える』の残りを読んでいたんだけれど

やっぱり改めて

Poeの影響垣間見える。

前回、『月に吠える』所収

「殺人事件」にPoeの「モルグ街の殺人」の雰囲気があると

感じた(だけで、書いてはなかったねw)

んだけど

それは、1886年生まれの朔太郎が1917年に自費出版で『月に吠える』を出してることを考えれば

もちろん江戸川乱歩(1894-1965)等との影響もあるだろうから

って感じで

ポーの「モルグ街」については

「とほい空でぴすとるが鳴る。」

で始まって

「みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、
曲者はいつさんにすべつてゆく。」

で終わるこの「殺人事件」という朔太郎の詩はそれほど

ポーの影響もないんだろうと読み飛ばしてたんだけど

今日、『月に吠える』後半を読んでたら

あ~やっぱ相当あるな。

朔太郎の「雲雀の巣」における

雲雀の卵を潰しちゃいけないとわかってるから雲雀の卵を潰しちゃう

「かういふときの人間の感覚の生ぬるい不快さから残虐な罪が生まれる。
 罪をおそれる心は罪を生む心のさきがけである。」

というくだりは

ポーの "The Black Cat"や "The Tell-Tale Heart"や "The Imp of the Perverse"で何度もしつこく描かれる

人はやってはいけないという規定があるからこそ、それを犯したくなる衝動(the sense of perversenessとポーが良く使う言葉)

と共通。

しかもさ

その指先でつぶした雲雀の卵の結果というのが

「黒猫」において

第一の黒猫を縛り首にした後

家が火事になり、その火事のあとから

黒猫が縛り首になったimageが壁から浮き上がるという

主人公の「わたし」の現実に、彼の心の中の様々な恐怖が

視覚化されて効果的に提示されるあれに似て示される。

「鼠いろの薄い卵の殻にはKといふ字が、赤くほんのりと書かれてゐた。」

この「K」という字はこの作品内についてはコメントは全くされないが

自分が犠牲にした者に対する罪悪感や悔いる感覚を

長々言葉にしないで

潰された命の表象として

「わたし」の現実に

その潰された命の何がしかが浮き上がってくる感じ?

が似ている。

ちなみに

「雲雀の巣」においては、

「ああ、厭人病者。」

という言葉で

「心が愛するものを肉体で愛することの出来ないといふのは、なんたる邪悪の思想であらう。なんたる醜悪の

病気であらう。」

と、自分が「やってはいけないことを犯すために犠牲になるものの重さ」も分かってる感じ。

「猫」がかわいいからこそ

「飲酒」や「暴虐」に心をとられて、その「猫」に残虐行為を及ばずにいられない「黒猫」の「わたし」とかぶる。

雲雀の卵

黒猫

の命を奪う自分を描くことで

自分のなかの自分にも説明のつかない

"mind"は病気ではないのだけど

"moral"に関する部分が "insanity"に冒されているということをどちらの作品の

「わたし」も自分の病的な部分を理解しているという

ポーと朔太郎の書き方。

ポーの場合は、

19世紀初めの欧米で流行した

"moral insanity"の症状を呈するものが犯した罪の減免の問題

"insanity plea"の法曹界にも引き起こした論争を思い起こさせる。

ちなみに、ポーは、1840年に娘を殺したとして起訴されたJames Woodの裁判のレポーターとして

Alexander's Weekly Messengerの4月1日号に

"The Trial of James Wood"という記事を掲載しているのだが

James Wood派当時 "insanity"を疑われて裁判中もそれが係争されていた。

そしてその後ポーが書く

"moral insanity"を患っていると感じさせる

罪を起した男の一人称での罪の告白の物語

(「黒猫」・「告げ口心臓」・"The Imp of Pervese"など)

はその時代背景が影響していると既に先行研究で言及されている。

朔太郎の描く「わたしの」厭人の感覚は

もっとライトだけれど、

ポーが「やってはいけないからそれを犯すことを抑えられない犯罪者の心理」

を描くその効果的見せ方に

朔太郎の詩の

「雲雀の巣」の卵を潰すイメージは何か感じるものがある。

ちなみに、朔太郎の「猫」という詩には

「まつくろけの猫が二疋、」で始まり

『おわああ、ここの家の主人は病気です』

で終わる。

「猫」にはわかっとるわけよ。

そして、朔太郎の

「肖像」等の詩に見られる

「あいつは歪んだ顔をして、

窓のそばに突つ立つてゐる、」

で始まるその人を

「あいつが窓にしのびこんだところで、

おれは早取写真にうつし」てみたら

「おれのくびから上だけが、

おいらん草のやうにふるへてゐた。」

わけで、

まあ、ドッペルゲンガ―的な様相は

ポーの "William Wilson"との類似は間違いない。

良くある話だといってしまえばそうだが

朔太郎の「さびしい人格」において

唯一認めた友とは

やはり「自分自身」の様である。

「自然派どこでも私を苦しくする、

そして人情は私を陰惨にする、」

という私は

「むしろ私はにぎやかな都会の公園を歩きつかれて、

とある寂しい木陰に椅子を見つけるのが好きだ、」

と都市で誰にも見つけられずに

ただ自分自身にだけ敏感すぎるほどの自意識を持って

生きることを選ぶ。

その姿は朔太郎の「わたし」ではなく

だんだん

ポーの "The Man of the Crowd"において描かれる

個性というものをまるで持たない

群衆の中で歩き続けることを選ぶ

自分という物だけを何かの道しるべにして

不安気に先を急ぐ

都市全体の市民の姿とかぶってくる。

ドッペルゲンガ―とは

選ばれた者にだけ現れることではなく

他者との暮らしを厭い

自我というものの重さにぎりぎり耐えきれなくなって

気がつくと

朔太郎が「さびしい人格」において言うように

「よにもさびしい私の人格が、

おほきな声で見知らぬ友をよんで居る、

わたしの卑屈な不思議な人格が、

鴉のやうなみすぼらしい様子をして、

人気のない冬枯れの椅子の片隅にふるえて居る。」

のは

先程の

「雲雀の巣」であったように

「心が愛するものを肉体で愛することの出来ないといふのは、なんたる邪悪の思想であらう。なんたる醜悪の

病気であらう。」

と、

何らかの「見知らぬ友」を「呼び」ながら

実態を伴う「友」との交わりや関係を拒絶するとそこには

自分自身という「友」が

大変不気味な姿で立ち現れる。

朔太郎の不安とポーの不安を一緒にすることはできないが、

朔太郎が、ポーの描く

人間の、自身の精神状態にばかり傾注する偏執的自意識の肥大化が、

この世界のそこらじゅうで散見されるようになったことに注意を向け

それをポーが多用した

短い言葉の中で

日常的背景を描きながら

日常的人物の狂気の告白を行う様子

(朔太郎の場合は狂気というより、自己愛?)

を道具として援用してる感じはするんだよね。

使ったテキスト。

青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)

底本:「現代詩文庫 1009 萩原朔太郎」 思潮社、1975

American Datelines: Major News Stories from Colonial Times to the Present
Ed. Cray、Jonathan Kotler、Miles Beller (New York: Facts on File, 1990)p.36-37


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