大人になるとは#9

平山瑞穂さん「遠すぎた輝き、今ここを照らす光」を読了したので、ここに残しておきたい箇所を記しておく。

 大人になるとは、自分にとって何が無駄であるかを見極めて捨て去り、残すべきものを選び取っていく過程のことなのだ。まだ若くて、自分のなんたるかがわかっていなかった頃に、やみくもに伸ばしてしまった枝葉。それを削ぎ落とし、真に必要な、自分に見合ったものだけが残るように刈り込んでいくことなのだ。
 もちろんそこには、せつなさもある。それは、ありあえたかもしれない自分を見限ることだからだ。果たせなかった望み。届かなかった願い。踏みつけにされ、傷つけられたプライド。恥辱や自己憐憫。失意と落胆。こんなはずではなかったのにという釈然としない思いー。
 ただ、それらを振り捨て、一度身軽になって大地を踏みしめなおすからこそ、残された幹は強靭で迷いのないものになるのだ。あとはそれを天に向けてまっすぐに伸ばし、より太くて頑丈な幹に育てていくだけだ。

遠すぎた輝き、今ここを照らす光 より p.349

小さい頃から小中高とずっと身近だった図書館に行った。図書カードも変わっていて、以前のご利用はだいぶ前ですよね?的なことを言われてちょっと悲しい気持ちになった。今までずっと財布の中に入ってたカードがあっさりと司書さんの手に渡り、二度と返ってくることがないものになってしまった。悲しい。

ここ数ヶ月、本当は本を読みたいのに都合により借りられないから仕方なく図書館に通う、みたいな生活をしていたから、借りられる便利さが嬉しい。文庫本コーナーに行って、なんとなく目に留まった、光って見えた本を1冊と、その隣にあった本の計2冊借りた。ほんとは気になる1冊の両隣も借りようと思ってたけどもう片方の本にあまり惹かれなかったので(普段は手にとらない本も読めるという意図が崩壊しちゃってる)

中盤くらいまであんまりだなあとかこの回想が随所に出てきて物語が進まない感じ、継母の〜のアニメみたいな言い回しだなとか思って読んでたけどだんだん面白くなってきて、特に最後の2ページは最高で最後の2行を読みながら、えへぇってにやにやした(きもい)
タイトルも、主人公からみた夏輝をあらわしてるのかなあ、とか思ったり。
読んでよかったなあと思います。

この大人論でいうと、私は人間関係で削ぎ落とす心の準備ができていないのと、まだ諦められずほのかに心に居座り続けているアイドルの夢が残っていて、でもなんとなく図太い幹を形成している最中なのかなあと思う。人は結局大人になりきれずに死んでいくのでは?大人になる過程のなかに死があるのでは?
20歳を過ぎて大人と呼ばれる年齢になっても、小さい頃に思い描いていた大人とは全然違う、みたいなのは人間誰しも思うことだと思うけど、この理論から考えると、なにも焦る必要はないし、いずれいつか「その瞬間(とき)」がくるんだとおもう。でも本にあったように、ぴたっと大人に切り替わる瞬間はきっと無くて、先述のとおり、完全な大人になれる日はこなくて、でも少しずつ人は幹を形成しているんだと思うな。
けど焦る必要はないって言っても決断しなきゃいけないタイミングってあるわけで、焦らなきゃいけなくて、そのへんのけじめはどうやってつけたらいいんだろう、とか、自分はまだまだだな、とか思う。

いつまでも自分のプライドに縛られてるようじゃ大人にはなれない、みたいなことも書かれていて、痛いところ突かれたなあと。でも、昨日も書いたように、今年は少し振り捨てる作業ができているのかも?

この理論がぜったい!ではないんだろうし、もっといろんな人の意見をききたい。

せつなさ(この"せつなさ"という表現、とても秀逸だとおもう)をしっかり真正面から捉えて振り捨てて、完全な身軽になれるのかな?迷いのない幹を育てられるかな?
自分に自信がないな。

結局、"見限る"のを邪魔する正体って、プライドと自信なのかもしれない。


(この、感じたことを書き留める回を終えて、はよ研究進めろ自分ゴミカスと思いつつ、本当に、研究のことを考えるといつも心に真っ黒いものが押し寄せてくるの、本当に本当にやめてほしい。はあ…
夏輝に、研究すべきだよ!って正しい言葉をぶつけられそうだ。)

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