さーて、今週のヒサコさんは?介護を通じて、親の深い愛を知る・・・
19日目
皆さんは、
親の「愛」
を感じることはありませんか
私は、3年前に父親が87歳で亡くなり、母は90歳で今、関西で認知症では
ありますが一人暮らしをしていて、私は東京で見守りカメラを通してそんな
母をゆる~く見守りをしています
私は、介護を通して、親の深い愛を感じることがあります
父親は亡くなるまでに、病院生活と、有料老人ホームの生活を約1年ほど
経験しましたが、それまでは健康に留意し、認知症気味の母親を老々介護
しながら暮らしていました
ほがらかな性格の父親は、認知症の妻の世話や介護が辛い時があったと思いますが、自身も耳が悪かったので、介護移設では、社交的な父には人の話がよく聞こえず、会話に不自由していて辛そうな時期がありました
家族で、高級な補聴器などを探しまわりましたが、耳自体の機能が低下していてあまり改善はしませんでした
当時、認知症初期の母は、気持ちが不安定で(当然です)、血圧も高く、夜になると救急車を呼ぶほどに不安定になるときもあり、その都度、父は睡眠を妨げられ、対応で体力的にもしんどかったと思います
でも、昭和世代なのか、決して東京の娘には1回も連絡せず、事後報告で、後で、ケアマネさんに聞いてビックリすることが何回かありました
救急車をなんども呼んでいたなんてとても大変だったはず
私は、今、認知症の母をカメラで見て、実家に近いところで、ケアマネやヘルパーさんや、シルバー人材センターのおじさんや、隣の家の人に助けてもらっていますが、父が母を介護していた時は、まだ、娘の私にも介護の知識がなく、人の手を借りる知恵もなく、父に面倒なことは全て任せて、
見ないふりをしていたのかもしれません
今思うと、今の母よりも、もっと当時の
父の相談に乗り、話を聞き、ともに母の
介護の手伝いをしてあげれればよかった
そんな気持ちが、今、母の見守り介護に、力を入れている要因に
なっています
そんな父ですが、亡くなる1年前、後ろにこけて尾てい骨を骨折し、
入院。
それから半分寝たきりになり、身体が弱り、一度は退院し、施設でリハビリも頑張っていたのですが、前立せんがんや、心臓、肺がどんどん弱り、再入院。最後は、緩和病棟でなくなりました
そんな
父の「愛」
を感じた思い出
1回目の入院、そして、自宅に戻ることなく施設に入った父は、
駆けつけた私の顔を見て、いつも
「指差し確認」
をしました
我が家の銀行口座のこと、保険のこと、不動産のこと、相続のことをノートに書いて私に渡し(ほとんど読めないほど弱い筆圧でしたが)、私の仕事、人生、お金、性格(お人よしだから心配だと・・)、結婚、全てを心配し、
ベットの上で意識が薄れてからも、
1つ1つ「指差し確認」をするジェスチャーをして、最後に、
指で丸を作り、
OKか、大丈夫か
と、何度も何度も私に聞きました
そして、OKと私が伝えると、少しだけ安心した表情でいつも
眠りにつきました
親の、子供に対する無限の心配と、愛・・・
父にもっとやってあげれることがあった
私はだからこそ、今、母の介護に対して、積極的にかかわり、
様々な情報を入手し、勉強し、少しでも介護の知識を付け、
出来るだけの準備をしようと考えています
今、施設を出て、一人暮らしが送れている母を見ると、今の段階でも
やれることは全部やっている自信があり、今、仮に母が亡くなっても
全部やり切った気持ちでいれると思います
そして、その過程で自分が経験したことや、知識で、これから介護に
突入する人の心配や不安を、少しでも軽くし、社会の役に立ちたいと
考えています
母は、ある意味、私の2度目の介護(父で一度経験したので)なので、
とてもお得でラッキー、幸せな人生
だと言いきれます
お父さん、今、私も、お母さんも幸せに暮らせているよ、お父さんの
おかげだよ、ありがとうと心からいいたいですよ
ほんとうに、ありがとうね、おとうさん
今日の教訓
介護生活は、経験と情報、知識次第で、雲泥の差がでます。
ただ、悲しんだり、嘆いたり、疲弊したりせず、情報を取り、勉強し、
人に聞き、人の力を借りて、楽しく、上手に乗り越えましょう
介護を通じて、親の愛を感じたり、自分の人生を考えたり、いい意味で
自分を知ることができます
いつも言うことですが、介護は、辛いといってできていない人の話を聞く
のではなく、楽しく出来ている人のアドバイスを聞くようにしましょう
介護の悲惨さや、辛さばかりを特集し、不安をあおるマスコミの記事に
振り回されず、実践的な情報や知識を得るようにして乗り越えましょうね!
今日も、お読みくださり、ありがとうございます
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