期待しない、比較しない、ジャッジしない
はじめに
この3つは、自助グループ等ではよく見かけるフレーズかと思います。
「期待しない」「比較しない」「ジャッジしない」
心が弱っている時こそ、この3つの言葉を思い出して欲しいのです。
思い込みと決めつけを手放す
自分の思い込みや決めつけで、思考ががんじがらめになり、思い込みに思考がのっとられ、冷静な判断が出来なくなり、自分で自分を苦しめてしまう場合があります。
手には虫眼鏡を持ち、自分の不安をわざわざ拡大し、一日中探し回っているような状態です。
ほら!ここも、ここにもあった!と、ダメな自分を否定する為の根拠を探し出そうとします。
更には、他人に対しても虫眼鏡を使い観察し、あなたのここがダメ、そこもダメ、ほら!言っただろ?等と、粗探しをしてしまいます。
結果的に、ああ、どうしていつもこうなんだ…やっぱりあの人は凄い、自分はダメな人間で、必要とされない人間だ…等と、自分で自分を責め立てます。
どうしてそう思ったの?と、聞くと
みんなそうおもってる。(に、違いない)
と、返ってくる。
みんなって誰?
誰かにそう言われたの?
昔、親によく言われた…
「みんなは凄いのにね…あなたはどうして…」
これは、子供時代に大人から受け取ってしまった「間違ったメッセージ」となります。
それらの間違ったメッセージを、大人になっても手放すことが出来ずに、心の奥底に大切にしまっている状態なのです。
そして、似たような場面に出くわすと、そのメッセージが頭に流れて来て、虫眼鏡を持ち、探し出してしまうのです。
不安から離れたい時は、虫眼鏡を一旦置きましょう。なんなら、その虫眼鏡は捨ててしまうイメージを持ちましょう。
「間違ったメッセージ」をビリビリに破くイメージも効果的です。実感が欲しければ、そのメッセージを紙に書き、破り捨てましょう。
気がついた時に、自分の手に持っている虫眼鏡をイメージし、一旦手から離して置いてみる。その練習が思い込みを手放せる近道となります。
メンタルが弱いといった思い込み
一般的に「メンタルが強い」と言われる人は、メンタルが強いのではなく、自分のメンタルにダメージを与えてくる人との距離の取り方がうまいのです。
常に防御に徹するよりも、回避がとてもうまいと言うことです。
メンタルは、強い弱いではなく、いかに自分へのダメージとなるものを回避するか?の違いにあります。
1度、毒沼にはまってしまうと、抜け出すのがとても大変になります。
毒沼だと分かったら、入らずに避けるのが効果的です。
自分のヒットポイントを減らさずに、毒沼は回避!たとえ片足が入ってしまっても、気が付いた時点で、足を洗い適切な処置をすれば致命傷にはなりません。
嫌いな相手には執着せず、去る者追わず。
嫌なことをを言われても「受け流す」こともひとつの回避です。
受け流す意味は「気にしない」とは異なりますし、「無かったことにする」とも違うのです。
「やめて欲しい」と伝えてもやめない人、話が通じない人、対話や議論が不得意で、理解力のない人に使う手段なのです。
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時には「嫌いな人」「苦手な人」がいるかもしれません。
職場でどうしても関わらなくてはならない事もありますね。
そのような場面で「受け流し」を活用するのです。
相手の思い込みの強い主張で決めつけられたら、「違いますよ~」と軽く訂正し、その場を離れる。「へ~」と言って離れる。これで回避できるものは、即、回避しましょう。
多くの方は、メンタルが強いのではなく、この「受け流す」「やりすごす」ことを実行し回避しているにすぎないのです。
勿論、我慢ならない限度を超えた加害行為に対しては、適切な対処をすればいいだけなのです。
では、メンタルが強いと言われる人は、どのように回避しているのでしょうか?
「期待しない」「比較しない」「ジャッジしない」
様々な回避法がありますが、はじめに基本のこの3つの方法からはじめてみましょう。
「期待しない」
なぜ、他者に期待するのは精神衛生上よくないのか?
日常の生活の中でも、SNSの中でも、他人に勝手に期待したのに、あいつに裏切られた!とキレたり騒いでいる人をよく見かけます。
SNSやネットは、特に自他の境界が曖昧になりがちな場所です。
会ったこともなく、直接会話をしたこともないのに、相手の投稿を見て、その人のことを自分勝手に妄想、想像し「分かったつもり」になり、期待し、比較し、身勝手なジャッジをしてしまう残念な人もいるのです。
自分の期待通りに動いて欲しい。
「自分と同じ考えだろう」
「自分の常識と同じだろう」
「普通は~のはずだ」
「みんな~だから」
「全て言わなくてもわかるよね?」
「それ、冗談だよ!」⇒相手が笑って許してくれると思い込んでいる。自分の期待する言葉を返して欲しい。(返信への期待)
「自分ならこうするから、相手もそうするはずだ」
「○○するのは常識だよね!(マイルールの押しつけ)」
「自分の頼み事を断るはずがない!」
「貸しがあるのだから、当然返すのが当たり前」
「アドバイスしてやったんだから、感謝するはず、感謝するのが当たり前」(勝手な押しつけ)
「あの人に相談すれば解決してくれるはず」(自分の求める答えの期待)
「あの人は何を言っても怒らない」
「必ず答えをくれるはず」(自分の希望する答えしか受け付けない)
自分が、勝手な思いこみをしていたのに、期待していた想像と全く違う返事が相手からきた・・・
相手が、自分の思い通り、想像通り、予想通りにならないと、ガッカリして、相手に裏切られたような気持ちになってしまう。
「あいつは、絶対にこう思っているに違いない!」
「あいつは、間違っている!」
「こんなに応援していたのに裏切られた!」
「こんなことを言う人だと思わなかった!」
自分が「勝手な期待をしたのに」これらの様に相手の責任にしてキレる人もいる。
自分の意見に賛同すべきだ!
自分は "絶対 " に間違っていない!
あいつが全て悪い!
期待値が高ければ高いほど、ガッカリ度や裏切られたと言う気持ちもグンと高くなります。
他人に勝手に「期待」することは「相手が自分の思い通りになって欲しい」と考えること。相手への尊重がないのです。
それは、あなたの思考癖になってしまい「支配欲」が強くなってしまう癖なので、早々に手放すことが大事です。
相手の返答や、自分の思い通りに物事が運ぶことに期待しても、相手の思考や感情はコントロールする事は出来ません。
コントロールしよう、支配しようとすればするほど、相手はあなたと距離を置き離れていくでしょう…
「コントロール」出来ない物は、何を言っても何をやってもコントロール出来ない。
だからこそ、コントロールしようとする行為は時間の無駄なのです。
例えば、天気、電車の遅れ、他人の気持ちや思考、感情、等々…
晴れて欲しい時に雨だと怒り出しても雨はやまない。
勝手に期待し勝手にガッカリし、自分勝手に怒る。
その無駄なエネルギーは、自分を褒め称える時間に使えばよいのです。
「自分のご機嫌は、誰かにとってもらうのではなく、自分でとるものです。」
不機嫌さを誰かにぶつけ、他人をコントロールする行為はやめましょう。
メンタルが強いと言われる人の多くは、コントロール出来るものと出来ないものを、きちんと分けて行動しているのです。
残念ながら、自分の期待通りにならずに怒っている人は、冷静な第三者からみたら関わらないほうがいい人だと思われてしまうので、距離を置かれてしまうでしょう…
さらに、自分の思考に腹を立てているわけですから、自分のメンタルにも影響がでてしまうのです。
過度な期待は手放すことです。
期待するのならば、自分の決めたことに対して期待しましょう。
楽しみなこと、ワクワクすること、こちらの期待ならば、期待通りにならなかったとしても、きっとあなたは自分が納得する答えや代案を見つけられることでしょう。
他人に「期待しない」これだけでも様々なことが回避できますよ。
《結論》
他人に期待し依存せず、自分が納得したことを自分で決めて行動する。
自分は自分、他人は他人。
そのように考えると、なにかに失敗しつまずいたとしても、他人のせいにするのではなく、自分の失敗と捉え、間違えてしまった言動をふりかえり改善していけるのです。
自罰や他責を手放し、解決思考へと変化していくことで、心の霧が晴れていきます。
これが「コースの変更」です。
同じ道で、何度も失敗し自分を責め続けるより、違う道を進めばよいのです。(新たな選択)
道を間違えたと思ったら、正しい位置まで引き返せば良いのです。(修正)
「比較しない」
自分に自信がない、自分をダメな人間だと思っている方もいます。
所謂、世間で言われている「自己肯定感が低い」と、他人と比較したくなってしまいます。
他人には優しく出来るのに、どうしても自分には優しく出来ない!と、語るかたもいます。
そんな時は、自分が大切にしている人を思い浮かべ、その人にどのような言葉をかけるかな?と、想像して下さい。
その言葉をそのまま自分にかければ良いのです。
他人に伝えることができるのならば、それを、自分ご試せば良いのです。
ロシアンルーレット
酷く落ち込み、思考の整理が出来なくなった時は、深呼吸をし何も考えずに、自分のしたいことだけをするのが一番です。
「あなたは、本当はどうしたいの?」
「あなたは、どうなれば満足するのかな?」
と、自分に聞いてみましょう。
そうする事で、自分のニーズが見えてきます。
思考が二極化しがちで、勝ちか負けか、白か黒か、正義か悪か、善いか悪いか等。極端な結果を求めたがり、自分で決めようとしてしまう方は、その中間のグレーもあるし、本当は様々な選択肢があることに気が付きません。
常に答えを探し回り、説明はいらないから答えだけ教えろ!というような横柄な方もいます。
そして、必ず、絶対に答えがあると思い込み、自分だけが納得する答えばかりを集め続けます。《脳の網様体部活系が活発になり、自分に都合のよいことばかりを集め出すからです。》
答えを理解するためには、プロセスが大事なのに、そのプロセスや説明すらも聞かない、聞けない。
さっさと答えだけ教えろ。
そう、これこそが考えることを放棄してしまう思考癖なのです。
他人と比較ばかりしていると、自分に自信が持てなくなっていきます。
そして、物事が上手くいかないのは他人のせいだと思い込むようになります。
答えばかりを求めたがり、学びを放棄し長文が読むのが苦手になり、考えることや言葉の力を馬鹿にしがちです。
考えもなしに人をバカにしたり、あの人もこう言っているからOK!等の軽い選択で、他人のせいにし、攻撃をはじめ自尊心を保とうとします。
ちょっとしたことでも、他人と比較することを手放してみましょう。
何かの意図や目的がある場合ならば、どんどん比較し、分析を深めていけばいいと思いますが、特に何も考えずにどうしても他人と比較してしまう場合は、それは無意味なことなので手放した方が生きやすいのです。
比較するならば、目標に変換する。
あの人ように、料理を工夫してよう。
あの人の収納術を真似てみよう。
その中で、その人と同じやり方では無く、自分に合ったやり方、好みに変えてみるのもよいのです。
ここで、やめたいのにどうしても比較し自信をなくしててしまうと言う方へ補足します。
人間は、乳幼児の頃から他人の目を気にする生き物だ。と、言われています。
子供も親から褒められたり、注意をされたり叱られたりすることで、様々な感情を表わしながら、親の評価を気にすることで家庭内で社会性を身につけ成長していきます。
学校では、同い年の子供が集まるので、家庭のように、大人と子供のようなパワーバランスはありません。
同じ年齢のコミュニティで、対等な立場の中過ごすので、集団生活の社会性を身につけて行きます。
家庭の中では、親のそばが「安全地帯」だと子供は認識し、親の近くにいて外の様子を眺めながら学習しています。
心理学では、このような関係性の構築を英語では「アタッチメント」日本語で「愛着形成」といいます。これが人間関係の基礎になると言われています。
愛着関係が構築できると、子供は相手がどういう反応を示すかによって、自分の行動が安全なのか危険なのかを判断するようになります。
両親や養育者が自分を優しく穏やかに見守っていれば、「安全だ」と判断。
両親や養育者が、険しい表情や強い言葉で止めにきたら「これは危険だ」と子供は判断しやめる。
このように、養育者の表情や言動をうかがう行動を英語では「ソーシャル・リファレンシング」日本語では「社会的参照」と言います。
乳幼児期から、自分の行動に他人がどう反応するのかを、一生懸命モニタリングしながら、自然と行動形成をし社会性が育っていくのです。
これらの「安心」「安全」と「適度な評価」があれば、子供は社会性を育み人間関係を構築していけるのです。(過剰な評価は、子供が後々不安を抱えることとなり、将来依存症にので、適度がよいのです。)
人間は「安心」があるからこそ、人の目が気になったとしても、自信を失わずに成長していけるのです。
① 両親や養育者、教師、講師、監督などに、厳しい態度で高いハードルばかりを要求されたり、プレッシャーを与え続けられた場合、逆に、過剰に褒め称えられ過剰な評価を受け続けた場合。
② 養育者が子供に無関心で、子供を放置した場合、壮絶な虐待を受け続けた場合。
どちらも、人の目を過剰に気にしすぎたり、他人の評価を気にしすぎたり、自分はダメな人間だと思い込んでしまったり、価値のない人間だと思い込み、自信が持てない子供に成長してしまいます。
大人になった今も、常に誰かと比較をしたり、他人の評価が気になりすぎて不安になったり、よい人に見られたいと常に思い込み、人に嫌われることが恐怖になってしまうこともあるのです。
例えば、こう自分に聞いてみて欲しい。
・他人と自分を比較してなにか良いことが起きたか?
・人の目を気にしすぎて自分を追い込んでいないか?
・今の自分に他人の評価が本当に必要なのだろうか?
・人に嫌われたらどうなるの?それを考えて、なにか損することはあった?
・私のその考えは、私の望むものか?
もし、このような質問を自分にしてみたときに、Aさんに嫌われたくない、Bさんに評価して欲しい等と具体的に名前や人物が思い浮かんだ場合は、その人との関係性を見直す必要があるといった自分へのサインなのです。
自分以外の誰かの意見ばかりが軸になると「他人軸」で生きてしまい、他人ばかりを大切にし、自分を蔑ろにしてしまうため、とても生きにくい常態になります。
他人軸の人は、他人の目や他人の評価ばかり気にするようになるので、人間関係がすぐに破綻してしまうことが多くなります。
軸を自分に戻す為に、自分への問いかけの練習を、少しづつ行います。
自分の思考を、他人に絡めとられることを防ぐ効果があるので、まずは誰かに聞くのではなく、「自分はどうしたい?」と、自分にニーズを聞いてみましょう。
誰かに褒められたい!と思うなら、自分で自分のことを褒めればよいだけなのです。
本来、他人に多少悪く思われ、言い返されて嫌われても、自分が楽しく生きる為には、とくに何も問題はないはずです。
他人の評価は、所詮他人が下した評価です。
それは、自分の評価や価値とイコールでは無いのです。
ただ、あの人とはご縁がなかったのだな!と思う程度です。
きっと、それがその人と離れるタイミングなのです。
ご縁があるのならば、また自然と付き合いが始まるでしょう。
メンタルが強いと言われている人は、不必要な人間関係、無駄な争いにに時間は割きません。
ここぞの時にパワーを使うのです。
《結論》
他人と比較をしはじめると、延々ループにはまり自分を責め立て、自罰を与える行為に発展します。
他人と無意味な比較をすることは、生きづらさを助長します。今すぐににでも手放しましょう。期待しないと同様に「自分は自分、他人は他人」と割り切りましょう!
「ジャッジしない」
これは、勝手な思い込みによる根拠のない「批判」と同じ類いになります。
自分の勝手な思い込みや、妄想、決めつけのみで他人をジャッジしたがる人は、抑圧されたテーマを抱えていることが多いのです。
人間関係が上手くいかない人は、人気者を妬み批判したがるものです。
その批判も、大概が思い込みの場合が多く、第三者に指摘されると、すぐに攻撃されたと「思い込み」怒りだします。
冷静になり、考え思い返してみたら、自分の考えの足りなさを悔いることは、誰もが、過去に1度や2度は経験したと思います。
怒りがおさまり、冷静になり、気がついた時に自分の間違いや過ちに気がつき、謝罪する人は多いのです。
それが、「ごめんなさい」です。
あなたの言い方はトゲがあるから、私も怒ったけど、私も伝え方が悪かったよね。
ごめんね。
これで済みます。
お互いの歩み寄りが大事です。
しかし、思い込みの強い人はそうはならない人が非常に多い。
相手にマウントし、上から目線でジャッジし、相手を罵り、相手に恥をかかせてやった!と満足するまで相手を罵倒したり、脅迫してきます。
自分の思い込みで言いがかりをつけ、相手を批判し、勝つことが目的になってしまうと、勝手なジャッジを繰り返してしまい、相手の逃げ場を作らずに、追いつめてしまうことになります。
相手を言い負かすこと(相手の価値を下げること)が目的になり、その言い負かした自分に存在価値を高めようとしてしまいます。
そして、その存在価値を脅かそうとする人全てが、自分の敵に見えてしまう。
自分を守るために相手を批判したり、思い込み(主観)でその人物をジャッジし、排除しなくてはならないと思い込んでしまいます。
一般的に多くの人は、自分で自分の存在価値を認めているので、他者にマウントを取りに行ったり、他人をバカにし続けたり、他人を批判し脅迫等を続けなくても、自分の価値は揺るがなくその場に担保されているのです。
そして、誰かの意見に左右されることなく、他人に対し、勝手なジャッジをすることもなく、自分の意見を語れるので、他人の言動によって自分の存在価値は脅かされることなく生活ができるのです。
一般的には、自分の存在価値を高めるために、自分の思い込みで他人をジャッジしたり批判はしないものです。
きちんと根拠を示し、議論や対話、間違いの訂正、建設的な意味のある批判やジャッジは、お互い同意の上で、大いに議論し合えばよいのです。
《結論》
自分の思い込みで他人をジャッジすることは無意味です。
承認欲求を発散させるためや、自分の価値を高めるために、自分の思い込みだけで、他人をジャッジすることはやめましょう。
最後に
「余計な一言」をやめてみる。
口にする前に、この一言はいるか?と考えてみて口に出すようにしましょう。
言い方(言葉選び)伝え方を変えてみる。
(暴言、失礼な発言、侮辱的な言葉をやめてみる)
この「余計な一言」を、やめるだけでも人間関係は大きくかわります。
相手を変えたいと思ったら、まずは自分が変わりましょう。
「言葉を大切にする」こちらもぜひ合わせてお読み下さい☺
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