子育て ワーママの出来なかったこと
息子を後ろに乗せ、車を走らせていた。
日が落ちてからの運転は久しぶりで少し緊張した。
赤信号、居酒屋の前で止まる。赤提灯が暗闇の中でピカピカと光っていて眩しかった。バックミラー越しにカクカク、眠りにつこうとしている息子を確認して思った。
(私には無縁の場所だな)
人生の楽しみが一つ、奪われた気分になった。
私が母親になったのは22歳の頃。
当時は人生を達観した気になっていた。しかし本当は世間知らずで、【子どもを育てる】という意味をよく分かっていなかった小娘でしかない。
「ひとりで子どもを育てながら働いたことがないからそんなことが言えるんだよ。お母さんに私の気持ちなんて分からない!」
昨日は心がいっぱいいっぱいになって、実家の母を感情的に怒鳴ってしまった。
子どもを育てるということは、【自分の時間を子どもに捧げる】ということだ。それに気づいた時にはもう遅く、私は友人と待ち合わせることも、ディナーへ出かけることも難しくなっていた。
若くして子どもを持つことについて、メリットはあると思う。
比較的健康に出産できるし、子どもに見つかる疾患も少ないだろう。結婚に焦ることもなければ、不妊に悩む必要もない。
【自分は子どもを産める体であり、自分にはもう既に子供がいる。】
女性に生まれたことで生じる「産みたい」願望は叶えられた訳である。そこについては思い残すこともなければ安心感すら抱いている。
ただ、若くして子どもを持つことについてのデメリットはそれを超える。
若くして自分の時間を失うと、自身の【経験不足】がより露呈されるからだ。それは仕事上のスキルだけではなく、プライベートな体験がより顕著だ。
「愛情不足」の子供が親の愛を強く求めグレてしまうように、「体験不足」の大人は出来なかったことにより強く憧れを抱いてしまう。
自分だけのモノでは無くなった「時間」をどうやりくりするか。
そうやって考えている今もまた貴重な「体験」なのだろうと思うと、私を母にしてくれた息子には頭が下がる。
母親業って、こんな矛盾の繰り返しなんだろうなぁ。そう思った。