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【鑑賞記録】『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』
病に蝕まれ、最期は安楽死…美しい死を望む一人の女性が、親友と一緒に過ごす数日間についての物語。
主役を演じているティルダスウィントン氏は、私が好きなウェスアンダーソン監督作品によく登場する俳優。中性的な出で立ちで超ハンサムなお姉様。あの髪型めちゃくちゃ憧れ。
本作はウェスアンダーソン監督作品ではないけど、色彩の豊かさとか個性的な小物の数々、カラフルなファッション、映像の作り方に似ている部分も多く感じて、耽美な雰囲気に溢れた作品だったように感じた。ウェスアンダーソン作品の色彩はカラフルでポップな絵本みたいだなと思うことが多いけど、『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』は崇高な絵画みたいだと思った。
作中感じたことがいくつかあったので、簡単に記録として残しておこうと思う。
・字幕で鑑賞したが、全編通して分かりやすい英語の台詞が多かった。英語に精通しているわけでは全くないが、もしかしたら何回か見れば字幕が無くても大体の台詞は理解できるかも、という感じがした。今の英文をこんな風に翻訳するのか、と発見のある場面が多々あった。
・いや友達だからって列抜かしちゃアカーン
・お見舞いに来てまずベッドに座るんだ…
・何かが入っていそうな使いかけの封筒家にありすぎでは?
・客人に対してコーヒーは如何?と勧める割に注ぐことはしないのか…
・ダイニングに直置きされたバナナの量が多すぎる
・飛行機の中であんまりセックスって連呼しないほうがいいよ
・iPhoneの着信音ってやっぱりそれなんだ
・そんな無垢で悪気一つない顔で「どうしたの?」じゃねえよ…絶対風なんかで扉閉めるなよ…
・まず勧めるトレーニングそれではない
・無造作に積まれた苺をなんの迷いもなく食べた…
などなど、文化の違いなのかハッ!?とする場面が多々あって面白かった。
そして印象的な場面といえばやはり最後のシーン。※以下ネタバレ
マーサが亡くなって、娘のミシェルが最期の家にやって来た時、よくこんなに似ている役者を探して来たな!!!と驚愕した。
佇まいも、雰囲気も、顔立ちも、何もかもよく似ている。というか似すぎている。凄いな。
そして、マーサが最期を迎えた椅子に寝転ぶミシェル。ここで、ミシェルを演じているのがマーサ役のティルダスウィントン本人だということに気がついた。
あれ?じゃあさっきも本人が演じてた?
混乱しつつ、物語はエンドロールを迎えた。
一緒に観に行ったパートナーと答え合わせしたところ、どうやらミシェルは最初からティルダスウィントンが演じていたらしい。
いや演技力バケモンかよ。全然別人に見えていた。というか、娘、って感じだった。母を何も知らず、ずっと疎遠で憎んで遠ざけて自立して生きてきた娘にしか見えなかった。
外で並んで寝転ぶ最後のシーンだけ、ティルダスウィントンが娘役を演じていると思っていた私は、あのシーンを観ながらこれはイングリッドが見ている幻なのかもとか思っていた。
つまりイングリッドが横たわるミシェルにマーサの面影を重ねて、二人(生者と死者)に雪が降って来たんだと解釈していた。だってそうじゃなきゃ雪が降るほど寒いのにあんな薄着のまま外で寝られるはずがない!!!
まあでも、雪そのものの風景描写がなんだかチープだったことは若干気になったものの、雪は全てを違えることなく平等に降り積もるということを映画「ザ・デッド」を引用しながら最後まで描いていたことが美しかった。
それにしても絵画や芸術家や戦争や音楽や映画からの引用やオマージュがたくさん散りばめられていたので、もっと教養があれば…と思ってしまった。浅く生きている私じゃあ「わー高そうな家!高そうな絵!」程度で終わってしまうわな。
是非「ザ・デッド」も見てみたいなと思う作品でした。