20年以上通い続けているバーの話
ここ数年、おせちの準備もせず、大掃除は夫がやり、年賀状も出さず、帰省もなし。という年越しスタイルの我が家。まめな人から見たらなんとも怠惰な過ごし方かもしれない。
でも、このスタイルにしてから、とても心穏やかに年を越せている気がする。単純に体も休まるし。
私が洋服の販売員をしていた頃のある年は、大晦日もお店の営業とセールの準備で忙しく、年越しの瞬間は帰宅途中の電車の中にいた。
元旦からセールが始まる。
セールは多くの客で混雑する大変さもあるけれど、個人売上の成績から解放される日でもあった。
がんばってアプローチしなくても面白いように服が売れるし、セール品の売上は個人ではなく店全体の成績にカウントされる。
お祭りのような感覚で過ごせる貴重な数日で、肉体的な負担は大きいが、精神的には負担が軽い。
最も混雑するセールの初日と2日目を終え、明日はシフト上お休みという日の夜、駅の改札を出て、いつもの通り帰路に向かったら、街がしんとしていることに気づいた。
普段、あれだけ人でにぎわっている場所が、こんなに静かになるものかと思う。
どこもやっていないというのに、まっすぐ家に帰りたい気分でもない。
ふと、あの場所なら明かりがついているかも、という気がして、高架下の道を進む。そして、縦に3本の取っ手が付いたそのドアを開けると、やはり、明かりがついていた。
ここが、たまにnoteでも書いている「昔よく行っていたバー」である。
迎え入れてくれたマスターが言う。
「1人で来るタイプじゃないと思ってた。よくあのドア開けたね」
そう。このバーは、入ってみればカジュアルに飲める場所ではあるのだが、メディアにも露出していなければ、看板も出ていない。
外から中の様子もほとんど見えない。
一見さんお断りではないものの、なんとも入りにくい雰囲気を醸し出している店なのだった。
もっと言うと、教えてもらわないとここにバーがあることも気づかないかも、というくらい気配を消している感じすらある。
私はこのときよりも前に1回だけ、このバーに来たことがあった。徳光さん(仮名)という風変わりなおじさんに連れて来られたのだった。
マスターからすれば私は、徳光さんの連れの女、という認識だったようである。
しかし、私が徳光さんとそのバーにいったのはそのとき1回のみ。それ以降、主には1人でそのバーを訪れるようになったのだった。
徳光さんとは男女の関係だったわけではない。
知り合ったきっかけは、ストレートにいえばナンパであって、近所のコンビニから出てきたところを、彼から話しかけられたのである。
「すみません、スカウトってわけじゃないんですけど、ファッション関係のお仕事されている方ですか?」
と言われ、名刺を渡され、そして徳光さんが寄稿したという雑誌の記事を見せられた。
今思えば、「スカウトってわけじゃないんですけど」って、じゃあ、何なのよ?と聞き返したくもなるのだが、当時、出版社への就職の夢破れて販売員の道を選んだばかりだった私は、雑誌に記事を寄せている人と、なんらかつながっておいても損はないかも?という下心が働いたのだった。
その日は、近所のフレッシュネスバーガーでお茶をしながら、好きな作品やアートなんかの話をして別れた。
それからは時々、アート展や家具巡りなんかに誘われて、一緒に出掛けたりもした。
あるとき、仕事帰りにばったりと徳光さんに会い、
「カズ(仮名)の店に行こうよ」
と言われて連れていかれたのがそのバーだった、というわけだ。
確かそのときは、マスターのカズさんと徳光さんが井川遥について語っていたように思うが、私は会話に混ざるでもなく、たいして真剣に話を聞いてもいなかったので、その論点がなんだったかは覚えていない。
そんな風に訪れて、これといって強い印象をもったわけでもないそのバーを、どういうわけかお正月のしんとした街の中で思い出したのだった。
その日の私には、暗くてしんとした道に、小さく灯る明かりに見えたようである。
徳光さんとは、ゆるくつながる知り合いのような関係ではあったが、私の下心がかなえられることもなかった。
徳光さんがあるとき、「お前の家で鍋でもやろう」と言ってきたから、断ったら「お前なんか親友じゃねえ!」とキレられて、あっさりと交流が途絶えた。
まさか彼から「親友」というフレーズが出てくるとは思わなかった。彼に下心があると判断した私は早とちりだったか。
そのあと、だいぶたってから、近所で職質される徳光さんを見かけたのが最後で、今どうしているかもわからない。
その後、たまにマスターとは、うさみみが初めは徳光さんに連れてこられたというのを笑い話的な思い出話として話題にすることがある。
実のところ、当時のマスターも私も、徳光さんが何をやっている人なのか詳しいことは知らなかった。
でもまあ、きっと元気にしていることでしょうよ、ということになっている。
20代の頃の私は、そのバーに週に4日も5日も通っていた。私はほとんどしゃべらずに飲んでいるだけたったのだけれども。
仕事やプライベートの現実とは離れた場所で、利害関係もない人たちが、世間話や、ときには中学生か!と思ってしまうようなくだらないバカ話で笑いあっているのを聞いている時間が私には必要だった。
それが、自分よりも長く生きている大人たちであることもよかった。
1人でいたいのに、人の気配が欲しかった。
それに私は、当時、29歳だったマスターをいわばメンターとして慕っていたのだと思う。当時23歳の私には、彼がとっても大人に見えていたのだった。
事実、彼は、年相応以上の力量を持っていたのだとも思う。
お客さんの層は主に30代~50代、その上の層もいて、社会的には結構なポジションにいる方々も多かった。
年上の人達にも面白がられながら、メディアへ露出もなく、日々、店を満席にしてきたわけだから、その若さでたいしたもんだ、ということになるでしょう。
そのお店の客層の中で、私は最年少の部類だったと思う。
なので、たいしてお金をもっていなかったけれど、たまたま居合わせたお兄様やお姉様のご厚意にあずかり、且つ、マスターの上手な計らいによっても、飲み物代には困らずに過ごせたのだった。
歳を重ねた私は、マスターが仮に上司だったり、パートナーだったりしたら、意見が合わないポイントや悩ましいところはあるのだろう、と気づくくらいには大人になったけれど。
粗探しをしたいわけじゃない。ただ、若さゆえの盲目的な崇拝はいつの間にか終わったのだった。もちろん、今でもいい兄さん的存在として、尊敬はしているよ。
何より、まだまだ不安定だった20代の心細い夜に、その場所があって救われたと思うのだった。
さすがに昔のような頻度では行かなくはなって、最近では、年に数回顔を見せる程度だけれども。コロナ禍も乗り切って、今でもあの場所があるのは心強い。
noteもバーみたいだな、と思うことがある。
見慣れた顔の人達でさえ、どこに住んで、どんな仕事をして、外でどんなことを思っている人なのか、詳しくはわからないけれど。
たまたまそこに居合わせた人たちの会話があって、そして約束をするわけでもなく別れて、縁があればまた会える。
たぶん、私はそういう距離感が好きで、友達が少なくても生きていけるのは、そういう場所があるからだと思う。
何があったというわけでもない。
致命的な何かが起きたわけでもない。
ただ、なんとなく心細いときに、
ただ、なんとなく真っすぐ家に帰りたくないときに
その扉をあけたら、他愛もないおしゃべりが聞こえる場所があるっていいよね。