「Webライターの先生」はもうやめた
ライティング講師、と名乗っている。
ライティング代行会社の採用担当だったころ、2回ほど1か月の「Webライターを育てる」講座を担当したためだ。
講座の評判は、それなりによかったと思う。
でも多分私はもう「Webライターの先生」はやらない。
Webライターは、正直増えすぎている。
需要を供給が追い越していて、さらに横からAIが需要を食っている。
これから新たにWebライターになるというのは
多分私が参入したころよりもずっとずっと大変になっていると思うのだ。
だから今簡単に「Webライターの勉強してみませんか?」とは言えない。
すでにWebライターの人たちが講師から学び成長していくことは必要だ。
が、それを私がするべきか、というと疑問である。
私は独学でライターになった。
だから講師になって初めて競合分析をやって
他のライティング講師さんをいっぱい見た。
講師は正直、本当に玉石混合で、ひどい石もいっぱいいるが
「玉」となればレベルは段違いだ。
今の私は玉には及ばない。せいぜいトンボ玉くらいだろう。
私のもとで学びたいという人がいたら「もっとこっちの人がいいよ!」と言いたくなる講師さんがたくさんいる。
私は「美しい文章」が好きだ。
音数がリズミカルで、歌のように読めて、
相手を不快にさせず、誤解させず、考えさせず、
相手が頭を使わなくても理解できる、そんな文章を目指している。
過剰に、目指している。
それは読者としての私の単なる理想であって
Webライティングに絶対必要かどうかはあんまり考えてない。
また、文章以外のマーケティングの部分とかは正直弱い。
全部「人の気持ちを想像する」だけで強引にやってきたので
他人をスキルアップさせられるくらいの理論は持ち合わせていないのだ。
私はもう多分「Webライターの先生」はやらない。
ただ、文章で困ってる人の手助けになりたい。
文章を仕事にしている人だけじゃない。
メールがうまく書けない人
企画書や報告書が苦手な人
作文が苦手な子ども、教えられないお母さん
SNSでやたら炎上しがちな人
インターネットが普及して、電話が廃れて、今やあらゆる場面で
テキストコミュニケーションが主流になっている。
文章で評価されてしまうことも増えていて
文章のせいで、うまくいかない人もいっぱいいると思う。
そういう人の「先生」になりたい。
3月に、自由研究のまとめ方講座をやることが決まった。
夏には添削付のしっかりした講座もやる。
私が住んでる場所では中学校の自由研究は強制で、
さらに内申にも響くのだという。
宿題なんかもレポート形式が多いと聞いた。
必要なことだから仕方ないんだけど
最近の子どもは急に「書くこと」を求められていて
周りの大人がそれについていけていない。
「書くこと」のプロは塾ですら対応できる人がいない。
だから、私がやる。ホントは「書ける」みんなも一緒にやってほしいけど、まずは第一歩として。
子どもたちの瑞々しい感性がちゃんと「伝わる」書き方を教えて
書き方で評価されず損してしまうような人を
一人でも減らしたいと思う。