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小説『ヌシと夏生』_エピローグ 野分
テレビに映るアナウンサーは、ビニールのレインコートを着て風にあおられている。
「すごい風です。吹き飛ばされそうですね」
雨に打たれながら、必死に作った笑顔で叫んでいる。
彼女が今、与えられている仕事は台風の激しさを正しく、分かりやすく伝えることだろうとは思う。その小さな体が吹き飛ばされそうになっている映像を観れば、暴風が吹き荒れていることは十分すぎるほど、わかる。
ただ、それは彼女が嵐の中、危険を冒して立たずとも、激しく揺れる木を見ればわかることだ。わざわざ台風の中に立つということは、世の中が彼女の苦しそうな姿を望んでいるということなのだろうか。
安全な場所から危険な場所で苦しむ人の姿を見るのは、ある意味、楽しい娯楽なのかもしれない。
床に置いた鞄の中から煙草とライターを出して、ズボンのポケットに入れる。お地蔵さんとテレビを観ていたヌシが振り返った。
「野分が来てる」
そういえば、ヌシが来てから煙草の本数は減った。
もともとそれほど吸う方ではなかったが、「ヤニの臭いは骨が溶けるから嫌いだ」と、煙草に火をつけるたびにヌシが身もだえして苦しがるので、部屋の中では全く吸わなくなった。勝手に来て部屋に住み着いているのだから、気を遣う必要はないはずなのだが、目の前で少女がのたうち回る姿は見ていて嬉しいものではない。
それでも時々、無性に吸いたくなる。それも電子煙草ではなく、匂いのきつい紙巻の煙草だ。
「私も行こう」
ヌシが靴をはく。
「それじゃ俺がわざわざ外に行く意味がないだろう?」
「……この野分には心がない」
そういうと鉄の扉を開けた。
蛍光灯の薄暗い灯りの階段を下りて道に出ると、温かい風が吹き付けてきた。だが、雨はそれほど強くはない。一本しかないビニール傘を差し出した。が、ヌシは首を振った。
「空っぽだ」
仕方がないと自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「空っぽ?」
「何もない」
だから、危ないという。
「さっきから言ってる、その野分ってなんのことだ?」
「野分は野分だが?……風と言えばわかるか?」
最近は煙草の吸える場所も少なくなってきたが、幸か不幸か、夏生の部屋から五分くらい歩いたところにあるコンビニが、店先に灰皿を出していた。
道すがらぽつぽつと語るヌシの話をまとめると、心のない台風には、当然のことながら感情がないらしい。
「コンビニの中にいてくれ」
そういうと、煙草をくわえた。嫌そうな顔をして、ヌシが自動ドアの中、明るい店内に入るのを待って、火をつけた。最近は煙草を吸える場所も全くと言って良いほど無くなってしまった。
生ぬるい風と湿気の中で吸う煙草は美味くない。
ヌシの言う「空っぽの台風」の意味が分かるような気がした。
心がないから容赦がない。機械的に空気中の水分を地面に落とす。だから、なだめようもないし、危険も大きい。大きな被害をもたらしやすい。
同じように雨を司る龍神であるヌシは、自分は煙草が大嫌いなのに、煙草を吸うために外に出る夏生についてきてくれている。
灰皿に、火をつけたばかりの煙草を押し付けて火をもみ消すとヌシがアイスのケースの中をのぞき込んでいるコンビニに入る。
初めてヌシと出会った日、「ずっとそばにいて味方になってくれる人」を願った。そんな自分の願いを一生懸命になって叶えてくれる神様には、やはり応えたい。
オレンジのかごに、ちょっと高めのアイスクリームを三つ、入れた。
振り返ったヌシの目が、キラキラと輝いていた。
コンビニのガラスの外では、灰皿の上に置き去られた、まだ半分以上入っている煙草とライターが、あっという間にびしょ濡れになっていた。
野分
この地域では、暴風のことを野分という。しかし、本当の野分は暴風ではない。子どものころに一度だけ出会った白蛇の神が、私に野分を見せてくれたことがある。生い茂った草をかき分けて駆け抜けていく姿は真っ直ぐで、無邪気で、自由だった。そんな野分を、白蛇の神は楽しそうに追いかけて、幼かった私の前から姿を消した。