帰り道にシュパットで買い物すると”大人”してる気がする
どうも。シュパット買いました。この前。
これです。
簡単にたためるエコバッグです。便利グッズ。まじで。
レジ袋が有料化されたことで購入しました。
まあ、実はレジ袋はプラスチック生産時の不要な部分を使用しているから環境に悪くない、とか、毎日レジ袋購入してもエコバックを購入する方が家計的には痛い、とかさ。いろいろあるけどさ。
今の世間において、「エコバックを使った方がいい」っていう風潮が大きくなってきている。じゃあ、使うしかない。
ということで買いました。
で、この前の仕事帰り、米が足りないし食パンもなくなったしで、ちょっとスーパーへ。
購入した後、カバンの中に忍ばせていたシュパットを取り出す。そして物品をシュパットへ詰め込む。
肩にかけるちょうどよい持ち手の長さを買ったので、肩にかける。
※リュックで出社しているのでうまくかけられない。ご愛敬。
颯爽と買い物を終え、スーパーを歩く。帰り道。
外に出て、大きく息を吸う。
なんだ…?この気持ち…?
おれ、もしかして、
”生活”、してる…?
”大人の生活”だ…
社会に順応している感覚が、帰り道の頬を吹き抜ける。
家にたどり着き、棚にしまったあと、シュパットをくるくる巻き込み、会社のバッグにしまい込む。
したんだ。
生活したんだ。おれは。
この「大人として生活している感覚」、なんだろう。
と思ったが、おそらく。
社会が「やれ」と言ったことに素直に従うこと。それに快感を得ているんだ…
「こうした方がいい」という共通認識を持っている中で、それをすることで、道行く人に「やるじゃん」と思われているかのように思い込み、承認欲求を満たしているんだと思う。
「ワイ、ちゃんとやってるやで、みんな、ワイ、偉いやろ?」
そんな気持ちがきっとあるんだと思う。
いいじゃん。環境問題にも何も詳しくないけど、みんなが褒めてくれてる(気がする)から、やるんだよ。
わしは、やるんじゃよ。