甘ったれの人生
今思えば、私は「困ったときに誰も助けてくれなかった」という経験が一度もない。
幼稚園のとき、同じバスの男の子にいじめられていたが、両親や先生が助けてくれた。
父のことは苦手だが、お風呂で話を聴いてくれたのをよく覚えている(何と言われたかは覚えていない)。
小学校のとき、友達とトラブルになれば別の友達が助けてくれた。
私は陰でこそこそ言われるのが嫌いで、そういう人を見つけるといちいちお説教をするちょっとうざいやつだったと思う。
ケンカを売るくせに、返り討ちにされるとすぐ泣く、それはそれは面倒くさいやつだったな。
それでも私には心強い味方がいた。
しかも彼女たちは、みんなの味方というか、誰の肩も持たない中立を保っていた。
だから私は、「それはあなたが悪い」と言われれば素直にそうだなと思えたし、「悲しかったね」「もっとこうしてみたら」と言われればすぐに納得して、立ち直れた。
どういう育て方をしたらそんな共感性の高い賢い子どもに育つのか知りたい。
彼女たちのおかげで私はすぐケンカしてすぐ仲直りする方法を身につけた。
それから、言いたいことをそのまま言ってケンカするより冷静に話し合った方がお互いのためだなと思うようにもなった。
そうは言っても中学に入ると、思春期の表れなのか反抗期の延長なのか、ケンカ早い性格に拍車がかかった。
仲の良い友達が悪く言われるのは私にとって許せないことだったし、私が戦わねばという謎の使命感をもっていた。
でも、大きな事件が起きて、わだかまりは残したらだめだと思うようになった。
その事件に触れるのは、もう十数年も前のことだけど、もっと気持ちの整理がついてからにしたい。
でもとにかく、戦わねばという使命感が、幸せにならねばに変わった。
せめて私に関わった人だけでも、幸せにしなくてはならない。関わったら悲しませてはいけない。せっかく仲良くしてくれるなら楽しい気持ちでいてもらいたい。だから私は幸せにならねば。そう思った。
それから、必要に応じて話し合いはするが、ケンカをすることは減った。
話し合いも、こちらの言いたいことを言うだけではなく、相手の話をもっともっと、よく聴くようになった。
そうしたらなぜか悩みを打ち明けてくれる人が増えた。色んな考え方があって、どれもなるほどなーと思った。
そういう、「色んな考え方」に救われていたこともたくさんあったと思う。
高校では、これまでいちばんのお助けマンだった友達と進路が別になった。
進学先でちょっとしたトラブルはあったものの、問題を客観視できる同級生が集まっていたのが幸いして、私も外から眺めてみることができた。そしてそのトラブルに折り合いをつけ、本当に平和な平和な3年間を過ごした。
よく考えると、細々した困りごと悩みごとはあったものの、「平和だった」と言えるのはやはり友人の支えがあってこそだと思う。
大学の4年間はものすごく楽しかった。
第一志望に落ちて、「友達なんていらない」「大学には勉強しに行くんだから」とふてくされていたが、友達はすぐにできた。
これでもかというぐらい楽しいことをたくさんたくさん見つけた。何をしていても楽しくて、毎日ゲラゲラ笑って過ごした。
高校のときときのように、細々した困りごと悩みごとは確かにあった。
でもそんなことどうでもいいぐらい楽しかった思い出がたくさんある。
それに、私はこの大学に結局戻ってくることになるので、第一志望に落ちたのは自分のために必要なことだったのだとさえ思う。
居心地がよくて、私に合っている。
社会人になると、毎日毎日忙しくて、それはもう慌ただしさの極みといった職場だったので、しんどかった。
しかし、そのしんどさに寄り添ってくれる上司や先輩、同期がいたので、ぶつぶつ文句を言いながらもしんどいことがあってもそれなりに頑張れた。
まあ、上司は寄り添ってはくれるものの指導がかなり厳しく、泣き虫な私は毎日のように泣いたけれども。だけどその厳しさの中に思いやりを感じることがたくさんあったので、何度も泣きながら、何度も立ちはだかる壁にぶつかって、何度も乗り越えた。
忙しさも多分、嫌いじゃなかった。
それはそれは文句がいっぱいあったので、好きというわけでもなかったと思うし、大大大好きなら辞めなかっただろうとも思う。
それでもきっと、そのとき寄り添ってくれる人たちが居たからこそ、私はその職場を離れてもうひと踏ん張りする決断ができたのだと思う。
ああそうだ、そのあたりで大好きだった人に振られる事件も発生したんだ。
毎日のように友達を呼び出し、飲み歩いた。
あの時の私は、延々と同じ話を繰り返していたと思う。でも皆んな耳を傾けてしぶとく聴いてくれた。
それで、もう一度学校に通うことにして、そこでも忙しさと慌ただしさに飲まれ、さらにはしきたりみたいなものにまで振り回される羽目になった。
これまでの友達が話を聴いてくれたり、同期と愚痴を言い合ったり、先生にお尻を叩かれながら、でも受け止めてもらいながら、無事に卒業して今は2回目の社会人生活を送っている。
と言っても、受験生だったので、勉強の時間も確保する必要があった。
収入は十分ではなく、恥ずかしながら貯金もほとんど学費に注ぎ込んでしまったので全然なかった。
衣食住は両親におんぶに抱っこという状況だったが、誰も私に文句を言わなかったし、なぜだか注意もされなかった。
強いて言えば、妹が「いい歳なんだからもっとちゃんとしなさいよ」と、少し口うるさくなったが、ごもっともなので私は何も言えない。
脳出血になってひとりで入浴できなくなってからは母がお風呂に様子を時々見に来てくれたり、運転ができないので「車を買いなさい」と言われなくなったり、気を遣ってもらっている感じもある。
寒暖差を気にして、寒くて寒くて仕方なかった脱衣所にヒーターを設置してくれた。
少し帰りが遅くなって電源が切られていたときも、私の帰りに合わせて父が電源を入れ直して温めておいてくれた。
今の職場では、上司が至れり尽くせりで、朝の準備を全部してくれる。
退院後1ヶ月は、朝一番に仕事をしなくてよいよう調整もしてくれていた。
会議のときに私が意見を言えば分かりやすく補足してくれるし、困ったときは相談に乗ってくれる。立場の違いもとてもよく理解してもらえているし、職場に認めてもらえるようすごく上手に働きかけてくれている。人間関係が円滑にいくような立ち回り方も時々教えてくれる。
フリーランスのような働き方をしている私が食いっぱぐれないよう、学生時代の教授がまめに勤務状況を確認してくれたり、仕事を紹介してくれたりする。
今までずっとどこにいても、誰からも甘やかされているし、わかっていながらそれに甘んじている自分もいる。
例に漏れず自分でも自分を甘やかしているから、体はまん丸(「今日はこれを頑張ったからこれを食べよう」「お腹が空いたからちょっと休憩しておやつにしよう」)。
それできっと、これからも甘やかし、甘やかされて生きていくんだろうなと思う。
だめだなあと思うけど、甘やかしてくれる人のために頑張ろうという力がエネルギー源になっていることもあるから、私にはそれが合ってるんだとも思う。もはや一種の才能かもしれない。いや、それはさすがに調子に乗りすぎ。
けど、人に恵まれているのは自分でもよくわかっていて、常々感じている。
「ラッキー」って思うこと少ないけど、本当にそういう面ではかなりの強運だと思う。あ、ここに運が費やされているのかな?だとしたらまあ他で運が悪くてもいいか。
甘やかしてくれる人がたくさんいる。
でもその代わり、甘やかしてくれる人のことを大切にすること、それは忘れたらいけないなって思う。もちろんみんなが大切にしてくれる「私」のことも。
「おかげさま」の精神ってやつだ。(?)
支えられて強くなったと思っているから、人を支えて生きていくんだ。そうすれば、ちょこっと強い人が、ちょこっと増えていくと思うんだ。
私にできることなんか超ちっぽけだけど、超ちっぽけが誰かの力になるなら、そのちっぽけをまき散らしていこう(〆なのにもっとよい言い方はなかったのか)。
なんでこんなこと思ったんだっけな。
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