あかみそまん

脳出血を起こしたとある日からの話を書いています(当時20代後半)。出血の範囲が小さかったそうで、処置せずとも自然に止血したとのこと。有り難いことに今のところは何事もなかったかのように生活しています。そんな私のただの日記です。

あかみそまん

脳出血を起こしたとある日からの話を書いています(当時20代後半)。出血の範囲が小さかったそうで、処置せずとも自然に止血したとのこと。有り難いことに今のところは何事もなかったかのように生活しています。そんな私のただの日記です。

最近の記事

とある試験に落ちた話

今年、試験を2つ受けた。 1つは合格、もう1つは不合格。 不合格になったことを伝えたときの周りの反応がそれぞれで、どれも愛おしい。 「あなたほど頑張った人が落ちるなんて、難しいんだね」 と、私の頑張りを労いつつ、テストの難しさを慮ってくれる人。 「そんな、、信じられない」 と、絶句してくれる人。 「運が悪かったよ」「神様はイジワルだね」 と、運命を嘆いてくれる人。 「あの試験は難しいよね」「問題に癖があるから」「何を求められてるかわからないよね」 と、試験の問題に

    • 甘ったれの人生

      今思えば、私は「困ったときに誰も助けてくれなかった」という経験が一度もない。 幼稚園のとき、同じバスの男の子にいじめられていたが、両親や先生が助けてくれた。 父のことは苦手だが、お風呂で話を聴いてくれたのをよく覚えている(何と言われたかは覚えていない)。 小学校のとき、友達とトラブルになれば別の友達が助けてくれた。 私は陰でこそこそ言われるのが嫌いで、そういう人を見つけるといちいちお説教をするちょっとうざいやつだったと思う。 ケンカを売るくせに、返り討ちにされるとすぐ泣く

      • 推理もの好きの末路

        脳について考える機会が増えたからか、得意なことと不得意なことが前よりも明確になってきた気がする。 多分幼い頃、母が私のこと好きすぎてたくさん話しかけていた影響か、私はとてもおしゃべりである。 話せる人にしか話さないので、そう思っていない人もいるかもしれない。 ちなみに、noteは誰が読んでいて、どんなことを求められているか気にせず書きたい放題書けるので、ここではかなりおしゃべりに気持ちや考えをだだ漏れにしている。 話が少し逸れたが、何が言いたいかというと、言葉を使うことや

        • マジックスパイス!!!

          マジックスパイスというスープカレー屋さんに行った。 と言っても、これまでに2回行ったことがある。 マジックスパイスの近くに行く用事があったので、ついでに寄ることにした。 私は、パクチーみたいに癖のある葉っぱや、スパイスの効いた食べ物が少し、いや、とても苦手である。 以前流行っていた(今も流行ってる?)スパイスカレーは、香辛料が強くて食べきれなかった。 初めてマジックスパイスに行ったのは、成り行きだった。「何食べたい?」「んー、なんでもいい」「スープカレーどう?」「超あ

          魔女見習いをさがした

          noteを始めたのは、脳出血という大きな病気に罹患して混乱していた気持ちを整理したかったのと、書き終えた先に何が待っているのか見てみたかったから。 書き終えた先に何が待っていたか、それは日常だった。そして、まだ見ぬ未来。 つまり、特に何かが待ち受けていたわけではなかった。 そうなると、もう少し落胆するかと想像していたが、そうでもなかった。むしろ、それもそうだなあと納得した。症状が軽かったので、慌ただしく日常に戻ることができてしまったからだ。 この、私のnoteが私の中で何か

          魔女見習いをさがした

          5日目*退院の日

          「おはようございます。お名前言えますか?」 もうこれで最後、というか、外来に通えば恐らくまた機会はあるだろうが、とにかくしばらくの間は名乗らない日々だ。 今日名乗ることは全然苦じゃなかった。 「山下です。今日は別の担当がいるんですけど、朝食を運ぶ時間までは私が担当します。」 山下さんは、はじめの方にも担当してくださった、若いのにベテラン感ある看護師さん。 「遂に退院ですね。」 「はい、おかげさまで。」 「今何か気になっていること、とか、退院するにあたって心配に思われること

          5日目*退院の日

          4日目*退院が決まった

          渡邉先生のところへ行くと、「どうですか?」と聞かれた。 「元気です」 と答えると「そうだよねえ。痺れたりとか変わったことない?」 「ないです」 「と、いうわけなので退院しましょうかね」 渡邉先生はモニターにCT画像を映した。 出血箇所は白く映っていて、先生は「小さい」と言っていたが、私には大きく見えた。 「はっきりとは特定できませんが、恐らく生まれつきこの海綿状血腫というものがあったと思われて、今回そこが詰まって出血に至ったわけです。」 母はメモしながら聞いている。 「今、飲

          4日目*退院が決まった

          4日目*不信と初心

          「おはようございます。お名前言えますか?」 このくだりを書こうか、もうやめようか迷ったが、やはり書くことにした。 起床時、3食の「いただきます」前、薬を飲む前、検査前、診察前、就寝前、、とにかくあらゆる場面で生年月日と名前を報告する。 この作業が病院という場所においてはすごく大切なのだろうと思う。 しかし、正直4日目ともなると「またか」を通り越して「もう良くない?」と思えてくる。 私はかなりの面倒くさがりである。 自分の名前を言うとき、頑張って言わないと聞き取ってもらえな

          4日目*不信と初心

          うう、投稿直前で操作がうまくいかず色々触っていたら「キャンセル」を押してしまった。だいぶ書き終えていたのに、全部消えた(白目)。ショックがでか過ぎるので今日もお休みします…(涙目)

          うう、投稿直前で操作がうまくいかず色々触っていたら「キャンセル」を押してしまった。だいぶ書き終えていたのに、全部消えた(白目)。ショックがでか過ぎるので今日もお休みします…(涙目)

          途中に

          「はじめに」「おわりに」は見たことがあるが、「途中に」は見たことがないなあと思い、作ってみた。 いや、本当はここまで書いてみて思うことをまとめてみたくなっただけだ。 そして私が見たことないだけで、「途中に」らしいものは存在しているのかもしれない。 私は実際のところ、脳出血を起こし入院したことについて驚かなかった。前兆はなかったので、突然のことではあったが、驚いている心の余裕がなかったのだと思う。 気づいたら検査されていて、気づいたら入院になり、気づいたら脳出血の診断がなされ

          3日目*兆し

          「おはようございます。お名前言えますか?」 今日も名乗ることから始まった。 「今日の午前中担当します、高橋です。よろしくお願いします」 高橋さんは名札を見せながら丁寧に挨拶をしてくれた。 「よろしくお願いします。あ、そのシール」 高橋さんのネームホルダーには、看護師さんのイラスト入りの可愛らしいピンク色のシールが貼られていた。そのシールを貼っている看護師さんと、貼っていない看護師さんとがいて、同じイラストで青色のシールを貼っている看護師さんもいた。何のシールか気になっていたの

          3日目*兆し

          2日目*家族と向き合う

          カテーテル検査が始まった。 先生には「寝ててください」 と言われたので目を瞑った。 前日、というか実際にはもう当日だったが、就寝が遅かったので眠たいとは思っていた。 造影剤も使うので、また顔が、かーっと熱くなる感じがあった。 それで眠れるはずはなく、とはいえ元気でもないので目を瞑ったままぼーっとしていた。 検査が終わり、先生から「血管の奇形は無かったです。海綿状血腫っていう診断になるかなあと。繰り返すようならやっぱり手術は必要になってくるけど、ひとまずは経過を見ましょうかね

          2日目*家族と向き合う

          2日目*一夜たって現実と向き合う

          ぐっすり眠っていると、名前を呼ばれた。 うっすら目を開けると、若いけれどもベテラン風の看護師さんがこちらを見ていた。 「お名前言えますか?」 私が名乗ると、「起こしちゃってごめんなさい。眠れましたか?」と尋ねられた。 「あ、はい、とてもよく眠れました。」と、救急で運ばれた患者とは思えないような返事をした。まあ、救急で運ばれた患者さんが何て答えるのか聞いたことないのだけれども。 「良かったです。私は今日担当します、山下です。手足しびれたりとか、頭痛かったりとか、ないですか?」

          2日目*一夜たって現実と向き合う

          最初の日*入院生活のはじまり

          CTの撮影をし、カーテンに囲まれた部屋にベッドのまま運び込まれた。 母と彼が傍に座った。 「びっくりした?」と、私は2人に声をかけた。 「そりゃあ、ねえ!」と、母が言った。 母には彼と付き合っていることは一度も話していないし、もちろん会うのもその日が初めてだった。私はどうすれば良いかわからず、「何か話した?」と続けて尋ねた。 母は「たくさん話しましたよ、ねえ?」と彼を見た。彼は「はい」と答え、「どうやって倒れたか覚えてる?」と私に話を戻した。 私が「全然覚えてない」と言

          最初の日*入院生活のはじまり

          最初の日*私が救急車で運ばれるまで

          その日、私は知り合って数年になる彼の家にいた。 季節は秋。今季一番の冷え込みといわれた日でとても寒かったのを覚えている。 そのため、彼に許可をもらってロフトから掛け布団を下ろし、ぐるぐるにくるまっていた。 資格試験を間近に控えていたので、時間が合えば一緒に勉強をしていた。しかしその日はお互いになかなかやる気が出なかった。 昼食の時間が近づき、面倒くさがりな私はたまごサンドとコーンスープ、料理好きな彼は麻婆丼が食べたかったので同じキッチンで別々にそれぞれが食べたいものを作る

          最初の日*私が救急車で運ばれるまで

          はじめに

          ある秋の夜のこと、私は脳出血で救急搬送された。当時私は20代後半だった。 これは、その出来事に脚色(ある程度のプライバシー保護)を加えながら記す備忘録である。 脳出血とはいえ、たまたま軽く済んでおり、現在に至るまで後遺症なく元気に生きている。 後に調べてみたところ、私は回復が早かっただけで、人により出血範囲や部位、それに伴い症状や回復の経過などは様々であるようだった。 そのため、これからここで述べることは脳出血という病気の経過全てではない。 「私」という一個人のただ