こぼれる星、ひとりきりの歌
闇に氷のつぶてをいっぱいに敷き詰めて、星空が生まれる。
ぼくはその星も空も好きだったし、あの子もたぶん、そうだったんだと思う。
氷のかけらが月の光を吸い込んで、きらきら光って星になる。本当に綺麗だ。どんなにどんなにそれが綺麗か、ぼくはあの子や、きみや、あの子の友達と語り合った。それはほんとうに、しあわせなことだった。
星空には時々氷のつぶてを撒かなくちゃならないし、星の明るさやバランスを観察しなきゃならない。あの綺麗な星空は、星空を支える人たちがいなければ星空ではいられないんだ。博士は星の明るさを測って、書記官が記録をつける。神様も時々現れるけど、この空は人間の手に委ねられている。
ぼくはこの空が好きだ。星のひとつひとつが好きだ。いちばん好きな星は北の空に蒼く燃える見たこともないほど明るい星で、もうひとつ好きなのは北西を見上げると瞬く、気まぐれな変光星。時々東の空にも現れたりする、不思議な星なんだ。
でも、ぼくが名前も知らないあの星も、ぼくが知らないだけで、きっと綺麗だと思う人も好きな人もいるんだと思う。どの星を好きだと思うか、綺麗だと思うか、それは散歩してる猫のしっぽみたいに自由なんだ。
でも、雲に隠れた星はいつもより明るくないし、あの子には明るく見える星も、あの子があの星を好きだから明るく見えることがある。明るさを測るのは博士の仕事で、博士は誰よりも星のそばで過ごすからいちばんよく星のことを知っている。博士の測った明るさは、そりゃあ時々は間違うかもしれないけど、信用してもいいものだ。
ねえ、どうしてきみは博士を信じないの。きみは歌が得意だけれど、博士じゃない。博士にも歌は歌えるかもしれないけれど、きみは博士と同じように星を測ることはできない。
書記官だって同じだよ。博士の測った明るさを記録することが彼らの仕事で、彼らだって博士じゃないんだ。でもきみは、書記官の方を信じるというの。書記官が自由に歌った歌の方を。
それはこの星空を壊してしまうことなのに。きみはどうして星が綺麗なのか知ろうとせずに、きみの瞳が捉えたようにしか星を語らない。
氷のかけらと氷のかけらがぶつかって、星になれずに砕け散る。まだ輝けるあの星が、急に向きを変えた雲に握り潰されて、光を失って海に落ちる。
星がその一生をまっとうできるように、この空がいつも輝いているように、星と空とをたくさんの人が命を砕いて見守っている。それをきみは、信じられないと言うの。
ねえ、ぼくがきみと語り合った星の美しさは、何だったの。きみには星は見えているけど空が見えていない。空を支える優しい眼差しも見えていない。
ぼくは本当にきみと星空の話がしたかった。だから言ったんだ、それは違うよ、って。きみは空の存在を忘れているだけで、きっと思い出してくれると思ったんだ。
太陽が昇る。ぼくはいつものようにすれ違う、あの子やあの子の友達に挨拶をした。あの子もあの子の友達も、ぼくを見なかった。ぼくが最初から、そこにいなかったように。
ぼくが通りかかると、きみたちはばたばたと窓を閉める。ひそひそと話す声を、きみたちは隠しているつもりなんだ。でも、ぼくには聞こえてしまう。心の声は、足音に混じって聞こえてくるんだよ。
そう、それがきみたちのやり方なんだ。きみたちはそうやって、星空を守ってくれる人たちのことなんか見向きもしないで、星がどんな色に光っても気づきもしないで、きみたちに見えたものだけを信じようとするんだ。小さな小さな望遠鏡に映るものだけを。
きみがそれでいいなら、かまわない。ぼくをどれだけ笑いものにしたってかまわないよ。ぼくが好きなのは、自分の小さな望遠鏡に映る星空だけじゃない。こぼれる星空をできる限りそのまま、身体全部で見つめたいんだ。
きみとぼくの星空の見え方が違うのなら、きっといつかこんな日は来ていたんだ。きみたちのやり方が、正しいとはぼくには思えなかったけれど、ぼくが知らないだけで正しいのかもしれない。でも、ぼくには見える気がするんだ。それはいつか押し潰すような波となって、きみたちのところに戻ってくるだろう。
きみが、きみたちが、どれだけぼくを笑ったって、ぼくは大好きなこの星空を、この星空のすべてを受け止めて、美しいと歌い続ける。大好きだと叫び続ける。
歌声は食堂でお湯の沸騰する音にかき消されて、街角でヴァイオリンを弾くぼくの前にお客さんはほとんどいない。常連に囲まれて拍手喝采を浴びるあの子たちとはえらい違いで、ひとりぼっちで歌うぼくを笑う声が聞こえる。あなたはあの子とは違う、あの子とは違うってぼくを指差している。意地悪な指先は、取り囲んだあの子にも簡単に向けられるものでしかないから、ぼくは振り向かずに歌い続ける。
商店街の入口で、かき消されそうな歌声を聞いていてくれた人がいた。ぼくがご自由に、と置いていったカセットテープを聞いてくれた人がいた。ぼくはひとりぼっちに見えるけど、ひとりぼっちじゃないんだよ。きみが小さな望遠鏡に映るものしか見ないように、きっときみは気が付かないけど。
きみの隣で歌うのが、ぼくは楽しかった。きみの奏でる異国の音楽も、きみが口ずさむ星の歌も、ぼくは好きだったよ。でも、きみの乾いた足音に混ざって聞こえる笑い声が、優しい思い出を透明に消してしまったから、ぼくはそれを氷河の川に流してしまおう。誰も居なくなったこの街角で、ぼくはそれでも、調子外れなヴァイオリンを弾いて、星空を見上げて歌うんだ。
ほら、今夜も月がのぼる。白い明かりを吸い込んで、氷のかけらがまたひとつ、星になる。きみが二度とぼくに微笑まなくなっても、今夜の空も何ひとつ変わらず、こぼれるように美しい。
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