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SM(スクラム見習い)の備忘録 #1: サーバントリーダーシップの美しいパラドックス

我が名はスクラムマスターでござる

Drivemode社に入社して、人生初の正式スクラムマスターロールと携わってから約1ヶ月経ちました。もっと正確にいうと、実際のスクラムイベントのファシリテーションをしてから約2週間。たった一回のスプリントサイクルに携わったが、「ハマった瞬間が既に来た!」と染み染み感じる。めっちゃハマっちゃって、頭が「どうやってよりいいチームになるのか?」「どうやってよりいいスクラムマスターになれるのか?」の思いでいっぱいいっぱいで、非同期プロセスが頭の中で起動したかのようだった笑。疲れそうに聞こえるけど、実はワクワク楽しくてありがたい!元気いっぱいで情熱を持っている本当のわたしの居場所、「生き甲斐」のある仕事と出会ったと思います。(何ヶ月間、何年間経ってもこの気持ちが変わらないように祈っています!)

そしてこの機会を通して、スプリントサイクルと同じタイミングで振り返りして、洞察と学びを共有したいと思います。どなたにお役に立てれば嬉しいです!

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特に最近色々考えさせたのが、スクラムマスターの「決定権がないサーバントリーダーシップ」の美しいパラドックスについてです。「決定権ない」と最初聞くときに、「それはリーダーとして言えるの?」という疑問が生じるかもしれないが、サーバントリーダーシップ自体はそもそも「決定権」なんて依存しないはずだ。じゃ、どうやってリードするのかというと、決定権がなければ、「影響力」に頼るほかないことになる。人間関係・信頼関係で自然に生じるものであり、権限よりも難しいことだ。すぐ与えられて適用する「権限」に比べて、「影響力」を生まれるのが人間関係、信頼関係を構築する必要があって、育つのに時間がかかるからである。

ジョン・マックスウェルの「5段階のリーダーシップ」によって、これはいわゆるレベル2:相互理解によるリーダーシップのレベルになると思う。地位と権限と関係しなくなるから、レベル1はもうスキップ。そしてスクラムマスターのリーダーシップレベルによって、レベル2〜レベル5(人間性・人間味によるリーダーシップ)の間になることも言える。ジム・コリンズの「レベル5リーダーシップ」であれば、なんとレベル3(有能な管理者レベル)までスキップしてレベル4(有能なリーダー)またはレベル5(「謙虚さ」と「意志の強さ・不屈の精神」を持つリーダー)になる!

スクラムマスターになった瞬間にレベル5リーダーになることを言っているのではなくて、スクラムマスターになるということは、レベル5リーダーまでになる絶好のチャンスだと言いたいです。サーバントリーダーシップに目をそらさない限り、謙虚の心を失わない限り、その道がきっと開き続けます。

スクラムマスターに求めらているリーダーシップを考えると、アジャイル・スクラムはなぜ昔ながらのトップダウン式企業に合わないのかをより把握することが出来ました。アジャイル・スクラムもそうだけど、特にスクラムマスターの存在意義はトップダウン式企業・階層構造的組織の考え方と矛盾しているからだ。なぜかというと、スクラムマスターの唯一の使命はいわゆる「人類最強のチームを作ること」、チームを支援して成果へと導いて、何よりもチームを自己組織化出来るように導くことで、トップダウン式企業だとカルチャーは正反対のため、パラダイムシフトが起きない限り実現するのがなかなか厳しい。

そのために、「アジャイル・スクラム」をやりたいと宣言したからと言って、AX (アジャイル・トランスフォーメーション)ミッションは成功するとは限らない。経営層から現場レベルまで、All Hands On Deckが求められている。その中で、組織と現場の間に入ってスクラムを推進する存在は、スクラムマスターである。よって、スクラムマスターに「トランスフォーメーショナルリーダーシップ」も求めらている。アジャイル組織にシフトしていくために、チーム全員を「最強である本当の自分」に取り戻して、自分の力を信じて自己組織化出来るように欠かせないことだ。

考えれば考えるほど、自分の使命の重さを実感するね、何てこった笑 その一方、不思議に、恐怖感よりもワクワク感が湧いている。我々は未来に向かって正しい方向に向かっている、という確信があるからだと思う。ものすごいスピードで変わって来ている現代の世界に生き残るために、イノベーションを生み出すために、アジャイル組織(野中先生、竹内先生が言っている『知識創造企業』)にならざるをえないということ。日本の過去の栄光を取り戻すためだ。

そしてその上、今いる組織とチームに心理的安全性と「I have your back」カルチャーが生きているおかげで、安心して頑張って飛べる。「君は一人じゃない」と強く感じている。だから、自分の未知と未熟さを知りながら、そして努力の成果を実際見れまで何年間かかるかもしれないが、何という冒険になるんだなってワクワクする!

聖書のヘブル人への手紙 11:1のことも思い出して励まされる

さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

ヘブル人への手紙 11:1

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では、また!!(次の記事の投稿は一年未満になるように祈っていますww)


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