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桃栗三年、書き七年

 2017年、桜の花が咲く頃、日本に帰国した。韓国には途切れ途切れながら、足掛け20年ちかくいた。今回は1999年2月に渡韓したので、18年ほど住んだことになる。

 渡韓後、最初の1年ほどはソウルの、韓国で「学院」と呼ばれる語学学校で働いた。その後、半島最南端の釜山に引っ越し、大学院に通いながら、領事館の非常勤講師を。大学院を終えてからは、釜山の、日本いうなら短大にあたる教育機関で教壇にたっていた。

 履修学生とは、1学期が約4か月ほどで、週に50分の授業が4コマか5コマあったから、5時間あまり顔を合わせていたことになる。またネーティブ教師は、日本語会話の授業担当で、1クラスあたりの学生数が、15名くらい。授業形態も教師の講義よりも、教師が出す課題に、学生が発表したり、教師や学生同士の会話といった具合に教師と学生の距離が近かった。

 また履修学生かどうか関係なく、毎日朝から夕方まで、学校にいたので、廊下をはじめとして、キャンパス内で、学生と顔を合わすことも珍しくなかった。授業を履修していない学生にも、教員であることは知られていたので、顔を合わすとあいさつをしてくれた。

 授業以外にも、学校内外では各種行事があった。春には体育大会、秋には学園祭。とくに学園祭では、学科の学生による「日本語劇」が、恒例行事となっていた。うさぎ谷や同僚のネーティブ教師は、学生が自主的に演目を決めて、日本語に訳した、劇の台本の台詞監修や稽古への立ち会いも。その場では、台詞の言い方の抑揚指導や、台詞の変更などを、指示することもあった。

 学校の外では、他大学が主催する日本語スピーチコンテストと日本領事館主催の作文コンテストが、学科の大事な行事だった。なぜ大事なのか。

 それはコンテストで入賞すると、学校のPRになるからで、上司もうさぎ谷たちネーティブ教師に、「しっかり」学生指導をするようにその時が来ると、力説していた。

 スピーチコンテストは、複数の大学であった。予選がある場合は、主に原稿審査だ。学生が原稿を書く前に、学生と話しながら、学生の経験から、どんな題で、原稿を書けばいいか、学生の話を聞き、その話にこちらが質問を繰り返し、書くべき内容を絞りこんでいくような作業は不可欠だった。

 学生が原稿を書いてくると、内容面はもちろん、日本語の文法や語彙の使い方のおかしなところを指摘して、直してもらった。その作業をいくどか繰り返し、原稿をスピーチコンテストの主催校に提出。

 運よく予選を通過となれば、本選に備えて、ストップウォッチ片手に、発表制限時間を意識しつつ、スピーチの速度や声の大きさ、それに抑揚なども意識して、練習に寄り添うことに。
 
 他方作文コンテストは予選がない代わり、大会当日に題が発表される。そのため、うさぎ谷たちネーティブ教師は、過去に題として出されたリストを作っていた。事前練習では、制限時間や枚数を、本番とおなじようにして、作文を書いてもらう。書けた後は、作文を添削し、学生にフィードバックをして大会に備えた。

 このようなコンテストの練習は、ふだんの授業とは関係なく、出場学生には、授業がない空き時間や、放課後の時間を割いてもらっていた。

 出場学生とは、ほぼマンツーマンの状態になり、本番1、2週間前ともなると、ほぼ毎日顔を合わせることに。そのため、学生の個性や考え方に自然と触れることとなった。

 このように、短大にいた頃は、学校の業務を優先していた。日本に戻ってきて、学生たちといっしょに過ごした時間をはじめ、ひろく韓国社会で経験したことを、文章に纏めておこうと決めていた。

 しかし戻ってきた当初の決心とは裏腹に、なぜか、書こうにも書けない日が続く。題になりそうな経験は、豊富にあり、すぐにいくつか作品を書けると高を括っていたのだが。ひとつの作品すら書けず、気がついたら、7年あまりの時がながれていた。

 今年の6月25日。旧ツイッター(現X)で、フォロワーさんであるKさんとやり取りしていたところ、Kさんが言った。

 「うさぎ谷さん、洞察力あるから何か書いたら面白いよ」

 Kさんは、ソウルにお住まいで、韓国ドラマの字幕翻訳をはじめとして、ウエッブ漫画や書籍、映像の翻訳などを生業になさっている言葉の専門家さん。

 そんな専門家さんからの「言葉」に、感激したやら、驚いたやら。「こういう視点でみてくれている方もおいでになるんだ」すぐさま、Kさんに「そうですか。じゃ、noteにアカウントがあるので、書いてみます」と。

 すぐさま題を考えて、エッセイのようなものを書きあげ、「言葉」から2日後「note」にあげた。もちろん、Kさんには、「書けました」と伝える。

 7年あまり、何度も書こうとして書けなかったのに、Kさんからの言葉が、切っ掛けとなり、2日で書けた。それどころか、ひと月で、10作品をnoteに。作品をあげると、読んでくださった方からの「コメント」や「スキ」と反応があることも、書く刺激となりつつ、嬉しい思いをした。

 どこかで読んだ話だが、桜の「花芽」は咲く前年の夏にはできているが、成長を一旦休む。「休眠」というらしい。その「花芽」が、ふたたび活動をはじめるには、冬の「寒さ」が必要で、「寒さ」によって、桜が目覚めるのだそうだ。「休眠打破」というそうな。

 桜の開花に冬の「寒さ」が必要であるように、うさぎ谷が書きはじめるには、Kさんからの「休眠打破」としての「言葉」が必要だったのだろう。7年あまりの時間は、桜の「休眠」とおなじく、帰国当初のあまたの経験が、整理されていくために必要な時間。だからこそ、Kさんからの「言葉」に、すぎさま反応できたと思っている。









   









 

 

 

 

 

 


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