韓国に14時間あまりかけて行く意味って?
「1時間と14時間」
この数字、何を意味するものか、お分かりのかたは、どれだけおいでであろうか。
答えは、福岡や下関から韓国の釜山までの飛行機と船の所要時間。
福岡空港から、釜山の金海空港までの所要時間が、約1時間。そして、14時間はというと、下関港から釜山港までの所要時間なのである。つまり飛行機と船が、どれだけの時間をかけて、釜山に行くかを表した数字である。
この数字をみると、船は飛行機の10倍以上の時間をかけて釜山に向かう。
では、わざわざ10倍以上の時間をかけて、船に乗る意味はどこにあるのだろうか。
結論から先に言うと、飛行機は単なる移動手段に過ぎないが、船は移動そのものを楽しむことができるものという違いがあるように思っている。
船は乗ると、最安値の2等部屋の場合、相部屋だ。日本人も韓国人もひとつの部屋で、一夜を過ごすこととなる。飛行機なら、隣になった人と話す機会は、時間の関係もあり、また移動というのみで乗っていることもあって、さしてないのではないか。しかし、船だと靴を脱ぎ、ひとつの部屋で過ごすことでくつろげることもあり、またなにぶん時間もかかるからこそ、わざわざ乗っているくる人は、どんな人だろうかという好奇心も手伝って、経験則から判断すると。飛行機よりも話しかけたり、話しかけられたりした経験は多い。
船は夜に下関港を出て、翌日のはやい時間に釜山港沖に着く。その間、乗客は食事をしたり、お風呂に入ったり、またお酒を飲んだりして、船で出会った人と話したりして、普段の生活のように過ごす。また飛行機では、味わうことのできないこととして、船上に出て、景色を楽しめることがあげられるだろう。
夜の船上に出ると、月が出ていない日だなら、夜の漆黒の闇の中で、点々と光るものがある。イカ釣り漁船が、イカをおびき寄せるために照らしている光である。そんな風景をみながら、耳に入ってくる波の音や船の唸るようなエンジン音を聞きながら、船上に立っていると、飛行機とは違う旅情のようなものを感じられる。
翌朝、空が明るくなってくると、船は沖合から港に入り、着岸する。その朝に起きて船からみる釜山の景色は、飛行機がどこの国でも関係なく、空港に着陸するという無個性さとは違い、前日、船上からみた下関港の風景が、一夜にして釜山の山並みとその山並みに張り付くかのように建っている民家や高層アパートをみることで、ある種「狐につままれたような」感情を抱くのではないだろうか。この眼前に広がる釜山の光景をみるだけでも、船に乗る意味があるかと個人的には、思っている。
時間がかかるからこそ、移動手段そのものを楽しみ味わう旅ができるのが、船の魅力であり、それこそ飛行機に乗る人とは、一線を画すことができる「こだわりの旅」なのではないだろうか。