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ピンクの髪は私の味方だった

3年前に染めたインナーカラー。初めてピンクに染めた髪。染め直しは一度もしなかったから、今回の美容院で完全にブリーチしたところがなくなって、黒髪に戻った時、私が思い出した話。


高校生の時から、好きなバンドが居る。
My Hair is Budっていう新潟県出身のバンド。通称、マイヘア。
私の母親が新潟出身で、育ったところも一緒で、なんとなく親近感が湧いて、聞き始めたのがキッカケだった。

曲は、恋愛ソングが多くて、どこかにありふれた日常を切り取った等身大の歌が特徴的。共感できることもいっぱいあって、情景が浮かぶような歌詞が特に好きだった。
私はそんな彼らの曲に、人生を何回も救われている。
この話もその一つで。

19歳の頃に、5つ上の職場の先輩と付き合った。最初はなんでも奢ってくれたり、エスコートしてくれたり。
正直タイプでは全くなかったけれど、その大人っぽいところが同級生ばかり付き合ってた私には新鮮で、半分流されるような形で交際を始めた。

恋人ができたらとことん尽くしてしまう恋愛体質な私。

先輩は実家暮らしだったから、一人暮らしの私の家に居候し始めて、ほぼ最初から同棲状態。
職場も一緒。帰っても一緒。ほぼ24時間一緒だったから、相手も私もドキドキを味わう時間はそんなに多くなかった。
1年経つ頃にはお互い5年一緒にいるかのような“慣れ”が出てきて、恋人らしいこともほぼ無くなって。
最初は悲しかったけれど、そんなことは次第にどうでも良くなり、ご飯とか旅行とかたまに行こうかーくらい。私も仕事が忙しくなって、相手も転職でバタバタしてたからなおさらすれ違い生活。
新しい家で同棲を始めたら、生活リズムが違いすぎて、2年経つ頃には会話もほぼ週一回くらいだった。

別にそれでも良かったんだ。
だけれど、彼の悪いところはギャンブル好きなところだった。

例えばどこか旅行に行ったとしても、パチンコをしたいがために先に東京に帰ってしまったり、記念日に一緒にいいホテルに泊まっても、私を置いて、朝早く帰る...。
家の最寄駅前にもパチ屋があったから、別の街にご飯に一緒に出かけて、駅に着いた途端、私をさっさと帰らせて自分はパチンコに。

一番辛かったのは、当時家族や同棲している人がコロナになったら職場をお休みしなきゃいけなくて、一週間外出自粛の言い渡しが出ていたが、私がコロナになった時、彼は職場に休みをもらい、3日後には出かけてくるとゲームセンターに当時ハマってたカードゲームをやりに行ったことだ。

性格は嫌いじゃなかったけれど、このままでいいのか。もし、子供ができて、子育てするってなっても、それでやっていけるのか。3年付き合って、現実を見なくてはいけなくなったタイミングで“もう無理だな”って思って、私から
「別れて欲しい。あなたとの未来は申し訳ないけれど想像できない」
と告げて、お別れした。

3年付き合った。20代前半の貴重な時に。だけど別れは、一言で終わらせられて、あっけなくって。
自分から振ったとはいえ、悲しくないわけではない。
思い出も、楽しい時も、優しくしてもらった時も、沢山あったから。
私はどことなく落ち着かないカラッポの心を抱えて、1人きりの生活の気を紛らわす為に、自分のプレイリストを無造作に流していた。
そしたら、マイヘアの「元彼女として」と言う曲が流れてきたんだ。

その曲は失恋した女性が、元カレに対して気高く、強がって、でも弱さを持って、ダメージを負いつつも次の恋に向かう曲。
その曲の一節に
「ピンク、金、銀、派手目に染め直して」
と歌う歌詞がある。
髪を染めて、気分を変えて、気を紛らわしている彼女の様子を表した歌詞だが、なんだかとても素敵に思えた。
元々、髪を染めるのに憧れていたし、何かを変えたい気分だったので、これはいい機会だ!と思って、すぐに美容院に駆け込んだ。
だけどやっぱり全面ピンクは勇気が出なくて、私はインナーに少しだけ、淡くて優しいピンクを入れた。

入れ終わり、美容院を出た後は、気分は絶好調で、12月の曇り空がすごく明るく思えて、空気がキラキラしていたのを覚えている。
もう何にも縛られない証。
そんな風に思った。

それから幾分か月日が経ち、私にも新しい彼氏ができて、先日美容院に行ったタイミングと同じくらいに同棲を始めた。
新居の洗面台で、自分の黒色だけになった髪を見て、なんとなく全て終わったような気がした。

「ありがとう。今私は幸せです。」
たくさんの思い出と経験をくれた彼と、ピンク色だった私の髪と、私の心を救ってくれた大事なバンドにそう伝えたい。

そう思える日がきて、良かった。
ピンク色の髪は3年間、ずっと私の味方だった。

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