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人の勘違いを正すのが面倒くさい

誰でも人に勝手な思い込みや、勘違いをされることはあると思う。

それを正すか、曖昧に流すか、そのまま放置するか、は結構大きな問題だ。

正すことで、相手の認識を1度は否定することになるので、時に雰囲気が悪くなるし、正し方によっては、関係が壊れるかも。こじれるかも。

曖昧に流したり、そのまま放置するのは、相手への負担はない分、自分の中で「違うんだけどなあ」というもやもや感が残る。

認識の食い違いの対象がたいした問題ではないときは、「まあいいか!」と思えて、流してしまうけども、その「まあいいか」がいくつもいくつも積もり積もると、相手の中の自分のイメージや、認識がズレていって、別な人間のように思われるのではないかという不安が生まれる。

実に困ったことだ。

そのひとつひとつの「まあいいか」が、命取りと思ったりもする。

この間、月に2回は支援の面談で会っている就労支援員の方が、私の通勤カバンが変わったことに気付いた。

前にnoteにも登場した、前通勤カバンは、磁石のボタンが取れかけ、あちこちボロボロだったので、結局買い替えた。

その前通勤カバンは、長年使っており、ここ数年途中で変えたことはない。どこに行くにも一緒。心強い相棒だった。だからこそ、永代供養に出したいくらい、恩を感じている。捨てちゃったけど。

その支援員の方とは、出会って2年くらいのお付き合いなので、その途中でカバンは絶対に変わっていない。

のにも関わらず、「カバンよく変わるね!」と仰る。

「初めてですよ」

「そんなことない、森うさぎさんのカバン3回は新しいの見てる!」

ほんまかいな!

1回も変えてないのに、どうやって新しいカバンを見たのか。

さすがに、すごい勘違いなので

「変わってないですよ。数年ぶりに買い替えたんですよ」

「いや! ちがうね! 森うさぎさんが、都会の女になっていくのを、私はつぶさに見ていたのだから!」(自信たっぷり)

私(はあ?! どういうこと?! 色々と!)

完全に誰かと混同している様子。しかも確信度が高すぎて、私がちょっとやそっと何かを言っても、どうにもならない感じ。

カバンなんて大した問題、では、ない? と思って、

「やだなぁ、なんですか。都会の女って」

と笑っておいたのだが、カバンという些細な勘違いでも、完璧な人違いをされていると思うと、もやもや。

「つぶさに見」てきた割に、すごい自信たっぶりな勘違い、と思ったり。そもそも都会の女ってどんな。。。

いつもお世話になっており、どちからと言うとフランクな関係ではあるので、ここはこうでああで、だからカバンは変わりようがありません。と説明してもいいのかもしれないが、そして笑い話になるのかもしれないが、面倒くさい。

ただでさえ、「森うさぎさんは、割と人の言葉尻を捉えて色々言うよね。こだわりが強いっていうか」と言われているので、一々いちゃもんつける面倒くさいキャラの補強を、今またすることはないかなとも思う。たかがカバンだし。

勘違いを正すかどうかと考えることも、本当に疲れる。正す前の悩みが面倒くさい。するべきか、せざるべきか。正したあとのことも考えると、また面倒くさい。

なんでもいいけど、勘違いされない人間になりたい。でも私について勘違いをするのは、私じゃないからなぁ。無理だわなぁ。
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