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毎日学校に行けなかった私が、皆勤で仕事に行っている話

昔から、団体行動を継続することが苦手だった。

すること自体は、嫌ではない。

でも、続けることが苦手。途中で息切れして、行けなくなってしまう。

部活は、中高大全て途中から幽霊なってしまっている。理由はそれぞれ違いはありつつも、幽霊になったということでは、みんな同じ結果。

なんで、運動音痴で、団体行動が苦手の極みな人が、体育会系の部活に入ったんだというのが、全ての共通した問題の原点なんだけど。うーん、失敗したよなと思う。

周りに迷惑をかけてしまった。

自分にも、がっかり感を持つことにもなってしまった。

学校に通うことも、時々病気でもないのに、一週間くらい休んで、また行く、というのを小学校のころから頻繁に繰り返していた。本当に病気になって、学校に行けない時もあったけど。。。オオカミ少女だと思われていただろうなと思う。いつが本当に病気なのか、私と同居家族しか分からない。

皆勤賞をめざしていて、学校にインフルエンザになってでも行きたくて、親を困らせたとか、そういうことは一度としてなかった。むしろ、なぜそんなことまでして学校に行きたくてたまらないのか、理解不能だった。

小中高12年皆勤という人がいたけど、どうしたら、そんなことがしたくなるのか、できるのか、わけがわからんとも思っていた。すごさも分からない。

そんな私が変わったのは皮肉にも、大学の時になった病気がきっかけだった。

病気になって、学校に普通に行けなくなった。

行きたい気持ちがあるのに、毎朝、学校に行く前になると、緊張と不安で、何もしてないのに心拍は190を超えて、冷や汗とも脂汗ともいえぬ汗がダラダラと出た。死ぬ思いで玄関を出る。

今日行かないと、課題が分からなくなる。

今日行かないと、授業についていけなくなる。

今日行かないと、単位が取れない。

今日行かないと、卒業できなくなる。

今日行かないと、、、

強迫観念にも似てるけど、私は大学で勉強したかったし、続けたかったし、そして大学を卒業したかった。病気で退学なんて絶対嫌だった。大好きな英語をあきらめることも、病気で退学することも、自分に負けるみたいに感じていた。

私は病気になってから留年したり、色々したので、どのクラスに行っても、毎回はじめましての人ばかり。

もとから、人に馴染むのが苦手なのに、さらに顔見知りもいないので、既にグループができている中で、誰にも頼ることができない。一人で何とかせんなならん。

大学時代の大半は体調不良と、学校に行きたい、行かなきゃならない、でも病気は苦しいの狭間で、戦い続けた日々だった。夜はもちろん眠れない。不安と焦りと心配とでぐちゃぐちゃになりながら、大学に通った。

病気になりたてだったから、薬も効果があるやらないやら、安定しない。睡眠薬も効くやら効かないやら、安定しない。頓服をのんでも、症状が出すぎて、効果がないことも多々だった。

でも、学校が実家から遠く離れた所だったというのは幸いしたと、当時も、今でも思っている。

両親には金銭的にものすごく迷惑をかけたけど、たぶん実家から通う学校なら、行けなくなっていたと思う。退学していただろうなと思う。

それは、その日の自分に責任を持てるのは、私一人だったから。

学校に行くも行かないも、判断して、結論どうするかは、全て私次第。私は学校に行くと決めた。だから何があっても、行くのだ。

親が強制的に通せんぼしたとか、「行くのはやめなさい」と言ったとか、逆に「行きなさい」と言ったとか、そういうことができない環境。

どこにいても、誰といても、自分の行動やその結果を自分で背負うということは、当たり前のことなんだけど、誰かが目に見える姿として、そこにあるかないかで、判断は大きく違ってくる。甘えともいう。私は弱い人間だから、きっと流されていた。

それを大学生で経験できたのは、私の宝だと思う。

英語で「責任」という言葉を、resposibilityという。

学校や授業を休んで、課題ができてないというのは、あなたの怠慢。課題をやるのは、あなたの責任だ。

というのが、実は私がネイティブの先生に言われて、初めて理解できた発言だった。病気になる前、1年生の時の話。ユアー レスポンシビリティー。高校英語のレスポンシビリティー。

恥ずかしい話だけど、休んだから、課題なんて分からない、できてないのしょうがないじゃんと、平気で思っていたのだ。フォローするの、むしろ先生の方でしょ、くらい思っていたかも(なんと図々しい)。

学校に普通に行けなくなって、やっと行きたくなった。課題をこなすことが、学生の義務であり、権利であり、責務であると知った。

学校にちゃんと行くというのは、とても大変だけど、こんなに価値のあることだったのかと、やっと知った。

できなくなるまで、その大切さが分からない。自己都合の休んでばかりの人に、信頼は得られない。

今の会社で、有給を時々もらいつつも、無遅刻無欠勤、皆勤で働けているのは、苦しい大学時代があったからだと思う。

「痛みを伴わない教訓には意義がない」いう、漫画のセリフ(『鋼の錬金術師』)があったけど、それは真理だなと身をもって感じている。

苦しいだけではなかったから、大学も続いたし、卒業もできたのだけど、苦しいことは、結果幸せなことだったとも思う。

あの時があったから、今の自分がいると思う。

【今日の英作文】
「たくさんの美しい魚の中でスキューバダイビングをするのが夢です。」
"It's my dream to try scuba- diving among many beautiful fish.''

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