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成人式 行くか行かないか

いつも「何とかの日」当日に、その日にまつわる記事が書けない。1日遅れではあるけど、成人式に思うこと。

私は結論から言うと、成人式に行かなかった。

行きたくなかった、行けなかった、行かなかった。

行く・行かないについては、たぶん、色々な言い方ができるけども、私の場合、半分は見栄で行かなかった。残りの半分は体調不良で行けなかった。

見栄で行かなかったのは、誰かに「成人式に一緒に行こうよ!」と誘ってもらえるのを待っていたからだ。誰にも誘われず、ついでに自分からも誘いそびれ、誰にも成人式当日も、その後も「来なかったね?」というような連絡もなかった。

「なんて自分は寂しい人間なんだ」と悲しくなり、「誘ってもらえるなんて思って待ってる、恥ずかしい、自惚れた、図々しい人間!!」と自己嫌悪に陥った。

高校に進学する時、中学で仲の良かった友達とは、1人だけ違う学校に行ってしまったため、中学卒業以来の再開となれば、自分から連絡しなきゃ、そりゃ誘ってもらえることはない。向こうも遠慮しちゃうかも。余程、強い強い思い入れがなければ。

今でこそ、そう思えるけど、成人式あたりの自分が抱えた気持ちは、あんまりいい思い出ではない。

悲しみと見栄が暴走した結果、中学卒業時に交換して、後生大事にとっておいた、友達の連絡先を携帯から全部消すという暴挙に出たので、今ではどうにも連絡する方法すらない。直接家に行くとか、手紙を書くとかすればいいのかもしれないけど、そこまでする程じゃないと思ってしまう、(まだ)見栄もあったりして。

にこにこ笑って、振袖着て、みんなで写真を撮る。昔と変わらない人、変わった人、再会できて楽しい人、そうでない人。そういうイベント事を楽しみたいなら、成人式は絶好のチャンスだったはず。成人式でもなければ、もう会わない人もいるだろうし。

成人式に行かなかったことについて、私が後悔することがあるとすれば、見栄っ張りなら見栄っ張りで、その後じめじめとくよくよし続けたことだ。自分は見栄っ張りだ、と分かるだけでよかったのに。

成人式(前後)に誰からも連絡がなかったことを、私は長いこと引きずっていた。中学時代になんかやらかしたのか、とか、連絡を忘れられるほど、なんにも記憶に残らない寂しい人間だったのか、とか。

どっちもそうだし、どっちもそうでなかったかも。どっちかがそうかも? どうであろうと、両方だろうと、結果は連絡がなかったという点で変わらなかったわけで、成人式には、行かなかったし、行けなかった。

私にとっては、もう何年も前になる成人式。行く・行かないということで見栄が絡んで行けない人は、きっと私だけではないだろうなと思う。

大事なのは、選択したのは自分なんだということ。理由が見栄だろうと、世間体だろうと。いつまでも、くよくよすな。人間、間違ってばっかりさ。相田みつをさんじゃないけど。成人式で、間違わないという法はない。

寂しい、恥ずかしい、見栄っ張り、そういう人間だと自分が分かったいい機会だったと、今は思っている。晴がましい成人式というには、苦い思い出になったけど、少しは大人になったのかもしれない。そういうイベントでも悪くは、ないさ。

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