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#はじめて切なさを覚えた日

切なさというのは、じんと辛い悲しい感情のことだという。

痛むような気もするけど、ただ心臓が動くのを静かに見守るような、ぽかんとした空虚さを持った、満たされない寂しい感情のことを、私は切ないと呼んできた。

私は切なさと寂しさを、ごちゃまぜにしていたのかもしれない。

握りしめた手のひらに、強く食い込んだ爪あと。

どこにも行き場のない、空虚な悲しみ。

「うさぎちゃんは嘘つき」と小さな幼馴染に言われたあの日を、私は切なさをはじめて覚えた日にしようと思う。

「嘘つき!」

Aちゃんが言った。

「しょうじきに言ったら、許してあげる」

勝ち誇った顔に、私はぽかんとした。

私は嘘なんてついていなかったから。

しょうじきに何を言えば良いのか分からなかった。

私達はまだ小学校にも上る前で、Aちゃんは私より一つ年上だったけど、「正直」は、「そうじき」にしか聞こえなかった。Aちゃんも「正直」が何なのか実際には、知らなかったのだろう。

私の弾劾裁判には、もう一人の幼馴染のB君も同席していた。

B君は、普段優しくて静かな子だったけど、時にお調子者で、Aちゃんの煽りに乗って、大騒ぎするような男の子だった。

「そうじきに言うんだよ!」

B君も口を揃えた。

私は何度「そうじき」を迫られても、何も話すことがなく、押し黙るしか対処の方法がなかった。

しばらく「そうじき」だの、「嘘つき」だのと、私を責め立てていた二人だったが、それにも飽きてしまって、「うさぎちゃんはもう帰っていいよ」とAちゃんが言った。

私達三人はB君の家で遊んでいた。

私は嘘つきじゃない。

そうじきに話すこともない。

事の発端が何であったかは残念ながら覚えていないけど、たぶん移り気で、新しい言葉が大好きで、おしゃまな子だったAちゃんが、理由もなく「正直」を使いたくて、私を嘘つき呼ばわりしたのではないかと、今はなんとなく思っている。

私は嘘をつけるような器用な子ではなかったし、二人に嘘をつくような理由が、今も思い浮かばない。

「私はB君と遊ぶから、嘘つきのうさぎちゃんは帰っていいよ」

そんな理不尽な場面で、泣いたり、違うと言えるような子だったらかわいいのに、私は「分かった。帰る」と言って、本当に帰るような子だった。

そして、家に帰ってから一人で泣いた。

手のひらには、握りしめすぎた爪のあとがくっきり残り、真っ赤になっていたことを覚えている。

痛くて、苦しくて、何が何だか分からなかった。

嘘つきのうさぎちゃん。

「しょうじき」に言い訳することもできない、嘘つきのうさぎちゃん。

B君の家からも、おばさんにさえ何も言わず、逃げるように帰ってきてしまった。

嘘つき、嘘つき、嘘つき……。

頭の中で、Aちゃんの言葉がわんわん鳴っていた。

二人の幼馴染を信じていた。

ご近所に住んでいたから、小さな頃からずっと一緒。

その二人に嘘つきと言われた。

嘘つきは帰れと言われた。

心臓が静かに、ただひたひたと鼓動している。

ーーー

山根あきらさんの企画に参加します。

【今日の英作文】
何もかもうまくいきます。まずは休憩。
Everything is going to be OK. At first, I need to take some break.

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