今年の漢字
清水寺の一文字は、「戦」だったらしい。
ロシアとウクライナの戦争しかり、物価高との戦しかり、きな臭い周辺各国の事情しかり。そのきな臭さに便乗して、日本も嫌な雰囲気になってきたと思う。
私は頭が割とお花畑と言われることを考えるタイプだ。
日本がなぜ今以上の武装しなきゃならないのか、よく分からない。もし必要なら、どう必要なのか分からない。
GDP2%の防衛費が必要の理屈も分からないし、2%で何がどうしたいのか(内訳)もよく分からないのに、賛成も反対もないとも思う。
日本の周辺国で軍拡的な雰囲気が広がっているから、日本も防衛力(武力)を高めて、安全保障に務めなければ。相手を威圧できるくらいの、それなりの抑止力がないと、日本は守れない。
そういうお話だということは、知っている。
お花畑の世界の話をさせてもらうとすると、なんで? どうして? ばっかりだ。
相手が拳をあげる。
私も拳をあげます。
殴り合います。
どちらかが「降参です」というまで、殴り合いはやめられません。
という道筋を、古代の昔から人間はずっとずっと続けてきた。
どちらかが滅びるまで、叩きのめす。殺し尽くす。
それはもう、いい加減にやめてもいい頃だと、人間の人類的な成長の問題として思う。
反撃能力も、本当に安心で平和な世界を作るには逆行してるように、私にはみえる。
どうして、相手を攻撃できると、平和が守られるのか。例えば、振り上げた拳は、素振りで済ませられるものなのか。何かを打たないと、簡単には下ろせないものじゃないのか。だったらそもそも拳をあげようとする行為そのものが、破滅的と言えるのではないのか。
日本が今まで平和でいられたのは、まず先の大戦で負けて、アメリカの保護下に入ったこと。それから、「平和憲法」を持っていること。
原爆を落とされて、戦争に負けて、もう戦争やりません。というのは、平和憲法を掲げる国として、これ以上に説得力のある立場はない。
戦争はもうこりごり。
敗戦したとき、日本の多くの人が思ったというこの感情は、世界の誰から見ても、共感を得られるように思う。
憲法はアメリカの押しつけだし、日本にも自衛の能力が必要だ。いざとなったとき、誰が国を守る? 平和憲法は立派だけど、理念だけでは国は守れない。
そういう人たちの意見も分からなくもない。
でも、日本の平和憲法は大事だ。理念(ビジョン)がなくては、国の姿勢が定まらないし、方向も迷走する。
今日本のしていることは、迷走以外何ものでもないと、私は思ってしまう。
中国や北朝鮮やロシアが脅威だという。本当に脅威だというなら、それらに対する具体案が必要だし、具体案に沿った、外交や、または武力なり自衛の能力なりが分かってくるはず。GDP2%が的確かどうかについて、首相はかつて必要なものの積み上げの後に、判断すると言ったけど、現実はどうか。
むやみやたらと、敵基地を攻撃できた方が有利に違いないとか、安心安全を買えるという論法は、雑だ。
やるべきことが、軍拡一筋であるのであれば、それは先の戦争の日本と何も変わらないし、あれからなぜ戦争になってしまったのか、または負けたのかという振り返りができていないという恥ずかしい日本の事実が露呈する。
GDP2%のお金をどこから持ってくるかでわちゃわちゃしている場合ではなく、現実論として必要なものはなんであるのかを考えるべきで、どうしたら敵基地を攻撃する際に、専守防衛の理念から外れず可能かに頭を絞っているなんて、本末転倒で変な話だ。
どうして、日本は平和でいられたのか。
どうしたら、これからの平和を守っていけるのか。頭を絞るべきは、そういう理念の話じゃないのか。
平和が一番というなら、平和の理念を忘れてはいけないし、今持っているものを大事にするべきだ。
人間は戦争の方に傾きがちなんだと思う。人類史的な面からも。思考停止というか、究極に迷った時に、簡単にみんなで納得しちゃうのが、「戦争」なんだと。
どうやって生きていくかを曖昧にして、どうやって判断されたのかも曖昧なままで、私は生きていきたくないなと思う。
きな臭いのは、他国のせいではなくて、日本自身からも匂ってる。
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