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ぶつかった時のごめんなさい

駅のホームを歩いていると、人とぶつかる・ぶつかりそうになることがよくある。うっかり鉢合わせみたいなのとか。

相手が歩きスマホに夢中で、うねうね歩きながら、大丈夫かと思っていると、激突コースということもある。

ぶつかる・ニアミスに限らず、進路妨害をしてしまったのは、お互い様だと思うので、相手が悪かろうと、私の不注意であろうと、私は「ごめんなさい」と言うことにしている。

「ぶつかった、とあなたは思う ぶつかってきた、と周り思う」

というような標語を駅で見たことがある(正確ではないかも)。

ぶつかる、ぶつからないは、タイミングの問題もある。意図的にぶつかるように歩いているなら別にしても、こんなに混雑した駅で、みんなが好き勝手に急いで歩けば、ぶつかることもあるだろう。

道を譲り合うがために、鏡に写った自分のように、同じ方向に相手とうろうろしてしまうこともある。

ぶつかったとか、ぶつかってきたとかいうのは、事故が起きた時、どっちが悪いかを判断する上で大事な事実だ。

でも、微妙な気持ちになり、行く手を阻まれた感は、お互い様だ。

自分が100%は悪くないのに、謝ってしまうのは、日本人的、ガラパゴスな感覚らしいけど、「すみません」「ごめんなさい」と言うことで、何かが穏やかに済むのなら、私は言ってもいいかなと思う。

謝りたくない!

と、かたくなになる時だってあるけど、道行く人は知らない人だけど、袖振り合うも多生の縁。ぶつかりそうなのも、多少の縁があったのかも。

仲良く、穏やかに社会生活をおくりたい。

しかしながら、歩きスマホは、普通に危険なのでやめた方がいいとも思う。ホームから落ちてもつまらないし、ぶつかって怪我をしたり、誰かに怪我をさせてもつまらない。

私には、駅の雑踏の中で歩きスマホする人は、迷惑というより、命を危険にさらしてまでスマホに夢中ってすごいなと逆に感心させられる、宇宙人な存在だ。

そんなに四六時中見つめるほど、スマホになんの用事があるのか。。。一瞬をついてやってくる連絡待ち? はたまたゲーム? 映画? アニメ? 

落ち着いた場所で見ればいいのに。

そういうわけにもいかないんでしょうが、そういうわけにした方が、身のためですよ、と思う。人とぶつからないために、怪我をしないために、させないために、思わぬ事故をしないために。無用なトラブル、ストレスを避けるためにも有効だと思う。

それに、傍から見ていて、歩きスマホ、常にスマホの人は、周りが見えてないように感じるので、私は大丈夫かなと不安になる。

周りの精神的安心のためにも、やめた方が無難と思う。
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