言葉はいつか運命になる
というマザーテレサの言葉がある。
この間、通勤中に道端に唾(痰?)を吐く人に出会った。
唾を吐くために前かがみになったために、手からペットボトルのジュースが滑り、地面に落ちて転がった。
大きな悪態をつくその人。
私はその時、「そんなこと(唾吐き)するからだ」と思った。そしてうっかり呟いた。
私は、唾を吐くという行動そのものがとても汚らしく思えて嫌だ。そこに座る人、たまたま歩く人もいるだろうに。誰かの吐いた唾の上を歩くなんて、絶対嫌だ。
それに、この感染症の世の中で、菌(ウイルス)の塊のような唾を公共の場にペっと出すとはと、常識を疑う。本当に嫌になる。
だから、「そんなことするから(ペットボトルを落とすの)だ」と思って、呟いていた。
マスクもしていたし。人も多かったし、距離も遠かった。声も小さかったから、聞こえてない。でも、問題はそこじゃない。
マザーテレサ的な考えでいくと、思ってもいけないし、口走るなんて、愚の骨頂。骨の髄までそう思っていて、もう習慣や性格や運命になっているのかもしれない。
誰かの何かを「それみたことか」と言うのは、とても卑怯だ。
上から眺めて、「ばーか!」「ざまあみろ」と言うのと一緒だ。
私は唾を吐くことをしないし、人がするのをみるのも絶対に嫌でしょうがないけど、それをただ「やだやだ」と思うのと、「そんなことをするからだ」と言うのは、天と地ほど差がある。
自分の性格がねじ曲がっていく、んじゃないかと(すでに遅し?)、猛烈に反省した。
別に性格には、正解も正道もないし、あらゆる特徴は、全て個性なんだけど、まさかねじ曲がった性格を運命にまで繋げたくない。
人は人。自分は自分。
と普段は思おうとしているけど、唾を吐く人がたまらなく嫌でうっかり本音が飛び出た私は、マザーテレサの言葉の的を射た名言にたじたじになっている。
まずは口から出る言葉に、気をつけようと思う。
誰かの行動に「そんなことをするからだ」なんて、誰が言える?
親が子供を教える時だってそんな言い方はしたくない(と思う)。
反省。
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