選挙について
来週、衆議院議員選挙がある。選挙や政治について意見を書くとか、表明すると、自分の底が知れてしまいそうで、なんだか気後れする。
選挙や、政治に興味があっても、なんとなく言いづらい。
それは、人のせいにするわけじゃないけれども、一部の人の中に、自分の主義主張こそが正解で、他の主張は取るに足らないと、貶したり、否定したりして、潰してしまう面があること。潰された方も、自分が悪いわけでもないのに、相手のその強硬さを見て萎縮し、さらにその様子を見た他の人が、違う主張をしにくくさせてしまう面があることも影響しているのではと思う。萎縮の連鎖というか。
みんな同じじゃないから、選挙が成り立つのに。
少し前に、なにごとによらず頭が硬いなあと思っていた人の政治的主義主張を聞いたことがある。
いわゆる右派で、タカ派なタイプだった。韓国も北朝鮮も面倒くさいから「コリア」でいいし、読売新聞以外はクソだとか、毎日新聞や朝日新聞は潰れれば良いとか言う人だった。こんな強烈な人には会ったことがなかったので、忘れられない人だ。
政治家(この時は麻生さん)が、値段の高い輸入ブランドのスーツを着ていたというニュースで、「日本の大多数の人はそんな高い服を着られないのに、既得権益だ!」と批判したあるテレビ番組に、怒り心頭だったその人。
「政治家は、国の代表なのだから高い服を着て、外国に行くのは当然で、日本の国威が試される」とか何とか。
私は、政治家だけしか高い服を着られない国もどうかと思うし、その高い服からしか国威が表せられないのは逆に残念と思ってしまったけど、そうでないんだ、と思った。世界には、政治家は清貧であるべしとする国だってあるらしいのに(少ないけど)。
今あの人に会ったら、選挙の動向うんちくと、立憲民主党と共産党の野党共闘の烏合の衆が、政権をとる世の中なんてと、すごい剣幕で怒り狂ってるか、そんな数合わせの集団が政権なんて、うまくいくはずがないとバカにしているか、な姿があるような気がして仕方がない。
私は自分が、今の政権よりも、たぶん左方向な考え方をしているのだと思う。今がすごく右なのかとか、右に傾きすぎかどうかは、よく分からないけど。
ある一定の国民負担があるなら、あると言う政治家の方が好感が持てるし、記者会見をしても、煙に巻くというか、質問に答えない政治家には、怒りより悲しみの感情を持っていた。
総裁選で訴えた政策を、総裁選が終わったら、いきなりお蔵入りするのは、なんで? と思うし、主張をやめた理由がはっきりしないままで、さっきのやる気はどこへ行ってしまったのかと思う。広島出身の首相だから、もちろん、核廃絶の旗頭になると思っていたら、オブザーバーになるにもなんだか雲行きがあやしい。
なんか、変なの。政治家というか、偉い人になっちゃうと、それまでが嘘みたいに変わっちゃうんだろうか。
忖度とか、人の話(周りのさらに偉い人の?)をよく聞くというけど、そんなじゃ本当に「何も変わらない」じゃない。
そういう姿を見ていると、好感度とか、支持したい気持ちが、目減りしていく。ガッカリ感に変わっていく。
「責難は成事にあらず」と私の好きな小説に書いてあって、心に残っている。与党がいい、または、野党候補を応援したいとかいう前に、誰しもが、それはわかっていなきゃいけないと思う。
誰かを責めて、批判することは、誰にでもできる。事を成す、政治をするとは、そこにとどまらず、じゃあ、それをどうするか、どうしたら国や社会が良くなるかを具体的に、実際に行動することだという意味。
そのためには、物事を知ってなくては、判断も対策だって打ち出せない。
政治家は「勉強します」とよく言うけど、勉強だって色々だよ、と思う。
より多く「勉強」していそうで、してくれそうな人物に、一票を入れたい。応援したい。
もうガッカリには、疲れたさ。
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