弱点は「人それぞれ」
私の弱点は、物事への判断が「はっきりしないこと」だと思う。
自分でも自覚のあることだけど、私は「人それぞれ」という言葉をよく使う。
「人それぞれ」と言うことで、主義主張が曖昧で、立ち位置も外から見たら、分かりにくくなると分かっている。
「人それぞれ」という、玉虫色の言葉が隠してしまう事柄の多さを考えると、使い方も問題だなと反省もする。
でも、はっきりさせなればならないことの大事さが、よく分からないことも事実だ。とくにSNSのような場で。
「自分はこう思う」と言うのは自由だ。SNSは繋がるだけじゃなくて、主張をする場でもある。見えない圧力を感じることなく、スパッとした物言いができることも、SNSの魅力的な部分だろう。
しかしながら、自分が「こう思う」と言っても、「こう思わない」人もいることの方が世の中では多い。
意見の対立だけじゃなくて、立ち位置や事情によって、「思えない」「思いたくない」人だっている。
例えば、自分の属性問題。社会人である、無職である、休職中である、何年生まれの男性である、女子である、どこに住んでる、という客観的なものから、自分のアイデンティティに深く根差すようなものまで。
その属性を公開するのかどうか。それは本当に「人それぞれ」である。
公開することを、しないことを、誰も責めることができないし、強いることもできない。その属性でこの人とは繋がりたいとか、避けたいとか思うのかもしれない。目印のようなものと言えばいいのかもしれないが、一方でその目印を付けて公開することを好まない人もいることも事実だ。
私は属性に限らず、そういう「より分け」になるような事柄をあえて主張するのが、嫌いだ。
誰もが自由に決めていいことを、画一的に不文律のように、知らない間に決まっていくことが好きではない。
「人それぞれ」なのだから、「人それぞれ」のやり方でいいではないかと思う。SNSの明確な特徴は、発言の自由度の高さにあるのだから。
どんなに面白おかしく書いても、痛快さを表に出しただけの、言葉の刃でしかない時だってある。
優しいだけの世の中ではない。言葉のやり取りは、人間のやることだから、失敗もあるし、行き違いもある。SNSは、本意をフォローしてくれる表情や、声音というもののないコミュニケーションツールでもある。顔文字だって万能ではない。
時に、鋭く切り込んだ言葉が胸にささって、「そうだよね!」と膝を打つこともある。そういう面もあって、SNSは形を変えながらも、滅びない。
だからこそ、自分がこう思うと言い切ったときの、反対意見を思い浮かべる必要がある。
反対意見を忖度するのではなくて、こういう人もいるだろうな、私はそうでないけどな。という、自分の立ち位置への客観視がある程度必要だと思う。
「人それぞれ」という言葉が、曖昧で意見のはっきりしない人という印象を与えることはわかった上で、私は「人それぞれ」と書く。
だって、これだって私の事情。「人それぞれ」でしょう?
弱点は強みの裏返しでもある、と思う。
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