賃金の格差と仕事
最近の物価高や、春闘のニュースを聞くにつれ、みんな似たような時間帯で「働いている」には違いないのに、お給料の額も待遇(福利厚生とか)も違うんだよなあと、しみじみ思った。
私は、最低賃金の時給で働く、短時間パートという身分。パソコンの前には座っていないけど、一日中立って体力勝負の仕事をしている。
一瞬、同じ時間働いたら、同じお給料が発生してもいいのになと思ったりする。
パソコンの業務が楽だとか、そういう話ではなくて、みんな平等とは、と考えると、なんか勘違いしそうになる。
自分のお給料の額に不満があるとか、そういう話でもなく(不満がないと言ったら嘘になるけど)、みんな一生懸命働くのに、高給取りと、最低賃金のパートは、どう違うんだろうと素朴な疑問が湧く。
仕事に貴賎はないという。
私もそう思う。
ビルの窓拭きをする人も、そのゴンドラの下を通りゆく人達の安全を見守る人も、大変な仕事だと思う。駅のエスカレーターの持ち手を拭き続ける人も、ポイ捨てされるタバコを拾う人も。寒くても暑くても同じ仕事をし続ける彼らの仕事は、全然意味のないものじゃない。むしろエッセンシャルワーカーだ。
ビルの窓がいつもピカピカなのは、拭いてくれる人がいるからだし、スーパーに行って、食べ物が買えるのも、買ったものをすぐ食べられるのも、色んな人が働いた結果だ。
だからといって、私はみんなが同じ給料でいいとは思わない。
例えば、日々の料理をしたり、ホールの手当をしたり、調理補助のパートが(資格的にも、物理的にも)できないことをしている所長と、私が同じお給料でいいとは思わない。
資格や努力や経験や技術は、認められてお給料に反映されて欲しいし、そのための役職だと思う。それは区別であって、差別ではない。
ただ、仕事の内容だけで、人間の価値的なものが判断されるということには疑問符。
駅のエスカレーターの持ち手を拭き続ける人と、調理補助の私と、パソコン仕事をする事務員さん。職場にもよるだろうし、働く時間や、身分・立場にもよるだろうけど、お給料はかなり違うだろうなと思う。
ブルーカラーと呼ばれる人と、ホワイトカラーと呼ばれる人。
私はブルーカラーでお給料も安いけど、その仕事は楽ではない。だけどホワイトカラーの仕事が楽だと言いたいわけでもない。
じゃあ、何をどうして欲しいかというと、あなたも働いていて、私も働いている。みんな大変だし、みんな頑張っているということ。誰もがエッセンシャルワーカーだと思うということ。
お給料の多寡で、社会的なランク付けすらされがちなのが、モヤッとするということ。時々、食堂にいても感じることのある、何か馬鹿にされてるような感じ。大多数のお客さんはそうではないし、その人だってその時、機嫌がおよろしくなかったのかもしれず。分からないけど、なぜ?と思うことはある。
誰かが窓拭きしなきゃ、ビルは薄汚れていくし、誰かがゴミ拾いをしなきゃ、ポイ捨てする人がいなくならない限り、そこにゴミはあり続ける。駅の通路が綺麗なのは、延々と掃除機やモップをかけてくれる人がいるから。
お給料は、確かにすごく大事で、指標になるのは絶対だ。誰だってもらえるものなら高いお給料が欲しいだろう。
でも賃金の格差が、人に対する社会的なランク付けになっているとしたら、それはすごく寂しいことだ。現実はどうやらそのような感じではあるけど。
働くという行為は、誰にとっても価値のあることで、誰もがそれを誇りに思っていいはず。どんなに低賃金だったり、過酷な環境や、単純作業に見える仕事でも、それを尊厳として認められていいはず。
働くとは、賃金ありきで、社会的ステータスのためだけのものではないはずと、私は信じたい。
【今日の英作文】
「私はあまりにも細かな内容に立ち入りたくはありません。でも、大好きなもの、嫌いなものについて、熱く語りたい時があります。」
"I don't want to go into too much detail. But, I sometimes want to talk very passionately about what I love and what I hate.''
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