地元旅、父母とチャリさんぽーおでかけがしたい。③ー
よく晴れた春の昼下がり。
71歳の父を先頭に35歳の娘(私)、69歳の母が自転車を縦に連なって進んでいく。
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実家を出て約10年。
遠くで暮らしていた時期もあれば現在はわりと近くに住んでいる両親とは、月に3~4回ほど会ってご飯を食べたり、買い物に出たりしている。
ふだんは母の所有する車で移動をすることが多いけれど、今日の目的地には駐車場が少なく、比較的実家から近い場所なので自転車で行くことになった。
昔、まだ小学生だった頃は両親と弟と4人で自転車を並べて公園へ行くのが休日の日課だった。近所ではなく、わりと遠くの広い公園まで。30分くらいは片道かかったんじゃないだろうか。
車を購入する前のことで、出好きな父に合わせて我が家はよく「おでかけ」をしたけれど、電車に乗った記憶ってあまりない。弟も鉄道にハマる時期はなかったし、ウチの移動手段といえばもっぱらチャリが定番だった。
ちなみに、名古屋の方では自転車を「ケッタ」という人もいるけれど私は言いません。
「あ、ツツジ」
途中の道で3色に咲くツツジがあった。
「きれいだねえ」通り過ぎる際に母と言い合う。ここではないが、小学校の下校時に道端のツツジの蜜を友だちとよく吸ったなあと思い出す。
いつのまにか先頭が父から私に変わっていた。
振り返ると、父はぜいぜいと息を荒げて、前かごを揺らしている。
「はあ、しんどい。」
家を出てまだ10分くらい。高齢にさしかかった父は昨年体調を崩し、一時は入退院を繰り返していたけれど、現在は少しずつ体調も戻りつつある。
それでも、これくらいの距離がもう「スイスイ」というわけにはいかないのだと、あらためて実感する。いっぽう、平日は毎日パート先まで自転車で行っている母は涼しい顔で父のペースに合わせてあげていた。
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見慣れた地元の地下鉄駅の、初めて入る路地裏をしばし彷徨った末、目的地である古川美術館に着いた。
『日本画の可能性~若手作家からの提言』を観る。
愛知、岐阜、三重の東海三県の若手日本画家を特集した展示で、出品者の1人である足立絵美さんにお知らせをいただき、お邪魔した。
チラシを観ると、驚いたことに高校の美術科で同級生だったS君が出品者に名を連ねていた。日本画家として名古屋で華々しく活躍されていることは知っていたけれど、直に作品を観る機会が今までなかったので、それも楽しみだった。
初めて訪れた古川美術館は、ピンクの絨毯が敷き詰められた豪奢な螺旋階段がホールの中心にある、ホテルのような佇まいの美術館だった。件の同級生の作品を最初の展示室で見つけて、すごい立派だなあ…とマスクの下で口が半開きになる。
立派って。と自分でもつっこみたくなる感想だが、S君の作品から感じるオーラは若手の伸びやかさというより、もはや老成した巨匠の雰囲気があった。
どんな作品でも私は「生」で観るのが絵画はいちばんだと思っているけれど、とりわけ日本画に関しては、本当に実物の前に立たないと分からない表現の繊細さがすごくある。
箔(金とか銀とか)の何とも上品に抑えた輝き。化粧品でいうとラメとパールの違いというか。何メートルも先からキラキラっと発光している感じではなくて、そばに寄ってはじめてひんやりとした眩さに気づくような。こういうのは図録などの画像だと残念ながら写らなくて、わからない。
あと、岩絵の具のザラザラ感。
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足立絵美さんの作品に辿り着く。父も母も絵美さんの絵の大ファンだから他の作品より長い時間をかけてじっくりと観ている。私は隣の橋本優子さん(足立さんと同じ画壇に所属されているので、よく並んで展示されている。好き。)の愛らしい豚のフォルムを眺めて順番を待つ。
足立絵美さんの作品は描かれているモチーフの奇抜さや愛らしさが第一印象に残るけれど、観る回数を重ねていくと、その圧倒的な手仕事量を目で追うことにむしろ夢中になってしまう。均等なグラデーションのかかった人物の赤い頬は非常に細やかな筆のハッチング(線を重ねる技法)。背景は何層にも模様を描いたり崩したりしながら、重厚なヴェールのようになっている。今回の作品は特に、表面のザラザラした荒っぽい表情がワイルドでカッコよかった。
美術館での仕事を通じて知り合いになり、定期的に顔を合わせるようになって数年。制作を仕事に繋げる上での悩みは、絵を描かない人には通じづらく、また、同業であると逆に突っ込んだ話をしづらい場合もあるけれど、絵美さんにはいつもなんでも話せてしまうので、つい相談事があると頼ってしまう。一番身近な場所に存在する、憧れの先達である。
「絵美さんの絵はおもしろくていいね。どこにあってもすぐにわかるし」
ふだん娘の作品には特にコメントもしない両親が、楽しそうに感想を口にする。今回も1人で行くつもりが、予定を話したら「絵美さんの絵があるなら行きたいなあ」と両親が言い出し、3人旅となった。
少し離れた場所にある分館の方にも足をのばし、「掃除が大変そう…」と母とつぶやくほど部屋が多く迷路のような日本家屋と整えられた庭園を眺めて、贅沢な空間に浸った。
古川美術館の表にも、ツツジが咲き乱れていた。
こちらは濃いピンクが生垣一面をびっしりと埋め尽くしている。単色も、これはこれで美しい。
来た道を戻る。
「あれ?こんなとこに拓けたグラウンドがあるね」
「だいぶ前からだよ」と、母。
「ふーん、知らんかった。でも誰も使っとらんがね」
ふだんはほとんど使わない名古屋弁も、親といるとつい自然と出てしまう。
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自転車旅でぐったりしていた父が、家に戻ると玄関のドアを開けるなり
「ただいま~」
確実に語尾にハートがついた声音でいう。猫のイラストが描かれたスリッパに足をつっこみ、愛しいニボシのもとへと階段を急ぐ父。
ニボシは出かけた時のままの場所にいて寝ぼけがお。
「お父さんがそばによったのに目つぶって寝とる」
と父、がっかり。
夕方、父母と3人で近所にお好み焼きを食べに出て、自分のアパートまで再び自転車をこいで帰った。チャリだからビールは飲めず残念だったけれど、満腹であたる夜風が心地よい。
鍵をまわし、玄関のドアをそっと開けると、薄暗い足元の隙間からトムとジェリーの小さな顔が覗いていた。
「ニャーア」。
「ただいま」
カバンでふたりの顔を部屋の中に押し戻し、玄関の灯りを点けた。
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今週もお読みいただきありがとうございました。
おでかけと言っても、ここのところ近所か美術館くらいしか出掛けられる場所がなく(社会情勢的に…)、第3週にして早くもコーナー存続の危機を感じておりますが、ほんの少しの気分転換でも、味わって楽しんでいけたらと思います。
◆次回予告◆
『雑事記③』音楽なしには制作できなかったのに、おとなになったら無音でも平気になったようなお話。
それではまた、次の月曜に。
【今回のさんぽ猫】
お留守番してたニボシ。
*おまけ*
この記事を作成中(悪天候の日)に父から送られてきたメール
↓
件名『雷が怖くて台所にいるお父さんの足元にうずくまるキキ』
*参考
『日本画の可能性~若手作家からの提言』2021年5月9日(日)まで
足立絵美(日本画家)さんについて↓ ポポトピア研究調査委員会HP
恐れ多くも私の部屋のトイレには足立絵美さんのカレンダーがかかっています。制作中、机とトイレを往復するだけの時にふと見上げて勇気と畏怖の念を抱きます。