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(展覧会感想)デ・キリコ/横尾忠則ーArtとTalk㊿ー

皆さんこんにちは、宇佐江です。
毎回美術に関する話をゆる~く(でもない時もありつつ)語る『ArtとTalk』もついに50回目となりました。
記念すべき今週は、久々に展覧会感想です。

それでは、参りましょう~!

(記事の内容はあくまで宇佐江個人の知識や見解、主観的感想です。本文はエッセイ形式でお送りします。)



デ・キリコ展

神戸市立博物館

毎年購入している「今年注目の美術展ベスト○○!」的雑誌で、2024年、私がもっとも行きたいと目星をつけていたのがこの「デ・キリコ展」だった。
まず東京都美術館にて4月から8月に開催され、9月14日からは神戸市立博物館へ巡回する。今回は、あえて行ったことのない場所で観てみようと冒険して9月某日、神戸会場へ出掛けた。

ジョルジョ・デ・キリコは、名前のインパクトもさることながら奇抜な作風で有名な20世紀の画家である。白昼夢を思わせる不思議な景色とのっぺらぼうのマヌカン(マネキン)の絵。美術に馴染みの無い人が見たら、ピカソに次いで「わけわからん絵」の象徴かもしれない。

高校時代に私の美術愛を目覚めさせてくれたテレビ番組『美の巨人たち』で初めてデ・キリコを知った。以来、彼から多大な影響を受けたというルネ・マグリットやシュルレアリスムの画家たちの絵も好きになり、日本人の気質に合うのか結構出先の美術館のコレクションで彼らの絵はよく目にしたが、デ・キリコだけは、縁がなくこれまでほとんど本物を観たことがない。
今展は、そんな渇望を見事に埋めてくれる濃密な大回顧展だった。

私の大好物「抽象的作風が有名な画家の若い頃の超上手い写実的作品」に始まり、年代順の見やすい会場構成。突き抜けた作風が有名故に、独自路線をひた走るイメージだったのが意外にもルノアールや過去の巨匠にもかなり影響を受けていて、絵の内容も年代によってがらりと変わっていた。想像より人間くさい。それがすごくいい。

本領発揮の形而上絵画の本物は、やっぱりすごかった。けれど、テレビ画面や画集を通じて見ていたときのただ漠然と奇妙な感覚ではない。自分の日常にも時々ふいに訪れる既視感や、何かが起こってしまう時の、ありふれた景色に異物を見つけた瞬間のひやりとする感じ。あの、なんとも言えない感じを一枚の絵として成立させているのがすごい。

デ・キリコは晩年、自身が最も称賛された時期の絵と似たモチーフや複製を描いたことを「模倣だ」と非難されたらしい。でもその時期の絵が並ぶ部屋にいると、なんというか、大御所歌手がリサイタルで新曲ではなく一番売れていた曲をあえて今、歌っているような感覚だった。
惰性で歌ったり、観客がそれを求めているからという理由だけじゃなくて、自分自身を誇るように。
デ・キリコの画家人生の大団円のような。

それはぬるいのではなくて、かっこいい終わり方だと思った。


レクイエム 猫と肖像と一人の画家

横尾忠則現代美術館

デ・キリコと同じ日に観に行った、横尾忠則の展示。
この時私は兵庫県の美術館をハシゴする旅をしていて(先週の記事参照)距離的にもちょうどいいし、展示というより施設目的で訪れた。

横尾忠則はもちろん超、超、有名作家だし作品も多く、あちこちで目にする機会が多い。私のような凡人タイプの作家からすると、センスが眩すぎてちょっと気後れする、そんな印象の作家でもある。
そう思っていた。

前半は横尾忠則と、文学界や芸能界等名だたるスターたちとの交友録だった。三島由紀夫に寺山修司、ジョン・レノン等々。
豪華。それに尽きる。けれどただ彼らの華やかさを紹介していくのではなく、横尾忠則自身が彼らとの思い出を作品と共に静かに語っていく展示が、とても良かった。
それにしても、いつ見ても三島由紀夫はかっこよすぎる。あんなにかっこいい人間が(見た目も作品も生き様も含めて)現世に実在したことが信じられない。

後半は、フロアが変わって2014年に亡くなった愛猫「タマ」の展示。
部屋いっぱい、タマを描いた絵が並んでいた。それらは、横尾忠則が描いたとは少し意外に思うほどぼんやりしていたり、ざっくりと描かれていた。その先の展示室でわかったのだけれど、それは、横尾忠則がタマの生前に撮影した写真を基に描いた絵で、猫を写真に撮る時の常で、かなりピンボケな写真も多かった。

「タマ、帰っておいで」。

一枚の絵のタイトルにもなっているこの一言に、展示室でひとり、涙腺が崩壊しそうだった。

私も猫と暮らしている。3匹ともシニアで、もうすぐハイシニアの仲間入りをして徐々にいなくなっていくだろう。私は生きものの死をふだんから特別視していないので、彼らがいつか死ぬことを、いつも、心のどこかで考えている。だから、そんな日が来たらどうしようと怯える気持ちはあまりない。けれど、苦しむことにはなるだろう。
だって横尾忠則のような天才ですら、タマの死を受け止めるのに、こんなにも辛い思いをしている。
タマの喪失を、絵を描くことで少しずつ受け入れていったのかもしれないし、描くことで、タマを思い出していたかったのかもしれない。思い出すという行為は、失ったその命と一緒に過ごせる時間だから。

展覧会を観終えたあと、ミュージアムショップでタマを描いた画集を買った。これは、いますぐは読まない。
いつか私にその日が来たら開こう。その日を乗り越える御守りにしよう。

この展示がやっている時に兵庫に来て良かった。観て良かった。
素晴らしい展覧会はいつも、私に、これから生きるために必要な何かを与えてくれるんだ。







今週もお読みいただきありがとうございました。あ…夢中で書いていたら零時超えとるやん…汗
お待ちになっていた方、ごめんなさい…。

事前にチェックしていても、実際観ると「うーん」な展示もあるし、ふらっと行ってみたら、一生の財産になるような展示に出会うこともあるし。確かなのは、行ってみないとわからないこと。そして、展示に行くきっかけを得ること。
私の記事を読んでくださることで、素晴らしい展示が、ひとりでも多くの来場者に繋がることを願ってこれからも『ArtとTalk』は続きます。

◆次回予告◆
短編エッセイ

それではまた、次の月曜に。


*記事で紹介した展覧会はこちら。特に関西方面の方、是非!

*この展示を観た、兵庫県のハシゴ旅はこちら↓

*もう50回も書いてるのか…感慨。↓



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